同調圧力

2014年9月 1日 (月)

「自由を担いきれないので、自分から手放してしまう人たちがいると。手放した人たちにとっては、自由を求めて抵抗している人がうっとうしい。なので、その人たちを攻撃してしまう」

最近の社会の「キナ臭さ」について。前回のブログ(8月30日)の続き。

さいたま市の俳句掲載拒否問題について、俳人の金子兜太さんは、埼玉新聞(8月17日) のインタビューで次のように語っている。

「どうしてこの句が問題なのか、ぜひ教えてほしい。結果として政治的な意味をお役人が持たせたのは、ご自身がご時世に過剰反応しただけ。作者としては当たり前の感銘を詠んだ句で、お役人に拡大解釈され、嫌な思いをしてお気の毒」

「こんな拡大解釈のようなことが、お役人だけでなく社会で行われるようになったら、『この句は政府に反対する句だから駄目』などと、一つ一つの句がつぶされる事態になりかねない。有名な俳人だけでなく、一般の人たちも萎縮して俳句を作らなくなる。俳句を作る人の日常を脅かすもので、スケールは小さいが根深い問題だ」


過剰反応、拡大解釈、忖度…、そして委縮。その結果、「俳句」が作られなくなる。

「国分寺まつり」で護憲団体「国分寺9条の会」が今年の参加を拒否されたことに対して、ドキュメンタリー映画監督の想田和弘さんは、ツイッター(8月30日)で次のようにつぶやいていた。

「刻々と、もの言えぬ社会になりつつある」

俳句だけの話でない。もの言えぬ社会がどんどん広がっていく。

どうやって広がっていくのか。それを考えさせてくれる言葉を並べてみる。

いとうせいこうさんは、東京新聞(8月15日)で次のように指摘する。

「自由を担いきれないので、自分から手放してしまう人たちがいると。手放した人たちにとっては、自由を求めて抵抗している人がうっとうしい。なので、その人たちを攻撃してしまう。そうすると、権力がやらなくても、自動的に自由を求める人たちの声がだんだん小さくなってしまう」

「下からの自粛と同時に、大きな権力に便乗するような欲望が動いて、結局はみんなで権力をつくっていく。特に自分たちが得もしないあろう人たちがそれをやって、他人の自由や良心を手放させていくことに快感を覚える時代になっちゃっている」


そうやって、息苦しい、キナ臭い空気が広がっていく。

コラムニストの小田嶋隆さんTBSラジオ『たまむすび』(8月18日放送)で次のように語っている。

「実は言論弾圧と呼ばれていることは、何かを行った人間が警察に引っ張られていくとか、業界から干されるとかいう大げさなことではない。ちょっとある特定の話題に触れると、あとあとなんとなく面倒くさい、ちょっとうっとうしいとか、そういうビミョーなところで起きている。我々が面倒くさがって、スルーしていると、結果として言論弾圧が成功していることになる」

もの言えぬ社会は、足元から…、ということである。

社会学者の森真一さん著書『どうしてこの国は「無言社会」となったのか』より。

「ほんとうはしたくないとみんなが思っているのに、『空気』を壊したりできないから、したくないと声に出せない。そしてしたくない気持ちを隠しながら、したくないことをする。こういったことは、何も若者に限ったことではない。世代に関係なく、『無言社会』日本のあちこちで起きている」 (P38)

まさに、日常社会の些細なことで、みんな言いたいことが言えなくなっている。個々の人たちの言葉が失われていく。

さらに森真一さんの指摘。

「集団が嫌いだから、集団的に行動しないのであれば、話は簡単だ。しかし、日本人の場合、集団は嫌いだが、集団から離れて行動し生活するのは困難だと考えているので、いやいやながらも集団に同調し、集団としてまとまろうとする」

「すると、集団に同調しない者に対しては厳しくなる。自分は嫌でも集団に合わせている。それなのに、どうしてあいつは合わせないんだ。ひとりだけ楽しようたって、そうはさせないぞ、と考えるわけである。『出る杭は打たれる』わけである」 (P109)

まさに同調圧力の構造。強制と忖度を無理強いする社会が完成する。(「同調圧力」

何度も紹介するが、歴史学者の加藤陽子さんの次に言葉につながってくる。毎日新聞夕刊(2013年8月22日)より。(2月13日のブログ

「この国には、いったん転がり始めたら同調圧力が強まり、歯止めが利かなくなる傾向がある」

かつて、このパターンで大きな不幸を生んだ。それを繰り返さないためにも、2つ言葉を載せておきたい。

まずは、社会学者の
宮台真司さん毎日新聞夕刊(5月2日)より。

「『
空気』つまりピア・プレッシャー(同輩集団からの圧力)自体はどの国にも見られます。むしろ大切なのはどれだけ空気に縛られずにあらがえるのか、また空気に流されて起こった悲劇を後世に伝承できるかです。その工夫がこの国には乏しい」


政治学者の宇野重規さん読売新聞(7月27日)より。

「私たちは自分自身の歴史から切り離されている。戦後とは巨大な忘却の課程であり、いまこそ、私たちは自らの過去をふりかえらなければならない」




2014年3月13日 (木)

「わたしたちはこの種の熱狂が、必ずしもわたしたちに幸福な未来を約束してこなかった歴史に学びたいと思う。そして、圧倒的な祝祭気分に、あえて水を差しておきたいと思う」

一昨日の3・11は、何度も通っている気仙沼で迎えた。2時46分、市内にサイレンが1分間鳴り響き、海岸に向かって黙とうした。

その後、ボランティア受入部のリーダーMさんが、黙とうのあとに行った言葉が残った。

「あの震災が起きた3年前に思っていた3年後がこの姿なのか、という疑念は正直ある」

被災地に行くと、どうしても社会学者の山下祐介さんの次の言葉を思い出す。著書『東北発の震災論』から。

「『復興』を進める事業のためには、人の暮らしはどうなっても構わないという力学が生まれているようだ」 (P269)

3年がたった。ガレキはなくなった。しかし、その後に広がる更地がそのままにされているのを見るたびに、ガレキと共にいろんなことを「なかったこと」にしたいのではという疑念はぬぐえない。

3月4日のブログの最後のところで、1964年開催の初回の東京五輪は太平洋戦争の「敗戦」を、2020年開催予定の第2回目の東京五輪は3・11の「第2の敗戦」を「なかったこと」にすることに貢献するのかもしれない。ということを記述した。

作家の平川克美さんは、著書『街場の五輪論』で次のように語っている。

「東京は今回を含めて三度開催候補地となっている。
最初のオリンピック招致が決定する少し前の1923年、東京は関東大震災に見舞われ、首都はほとんど壊滅状態であった。その二年後の1925年、治安維持法が国会を通過し、国民の政治活動が制限される」

「この、震災という自然の災厄からオリンピックを挟んで、太平洋戦争へ至る歴史を見ていると、この度のオリンピック招致に相前後する歴史状況との符号にお何処かされる」 (P174)

ここで言う1回目の東京五輪とは、1940年に予定されていたのに戦争によって中止になったオリンピックのこと。

平川さんは、関東大震災の2年後に治安維持法が成立したことと、東日本大震災の2年後に特定秘密保護法が成立。そのあと五輪へ向かっていくことなど重なっていることが多いことへの危惧を語っている。

「もうじき、建設のラッシュがはじまり、いやがおうでもオリンピックに向けての熱狂の空気が支配的になるだろう。しかし、わたしたちはこの種の熱狂が、必ずしもわたしたちに幸福な未来を約束してこなかった歴史に学びたいと思う。そして、圧倒的な祝祭気分に、あえて水を差しておきたいと思う」 (P183)

このブログでは、何度も書いてきたが、僕たちは歴史から学ぶしかないのだと思う。(2013年1月8日のブログ)(「歴史に学ぶ」

震災遺構の問題も同じなのではないだろうか。「なかったこと」にしないためにも、時間をかけて残していった方がいいと個人的には思う。(2012年7月6日のブログ

作家の半藤一利さんの言葉も載せておきたい。著書『そして、メディアは日本を戦争に導いた』から。

「昭和13年ぐらいで国家体制の整備統一と強化は、大体けりがついていた。その打ち上げが昭和15年の紀元2600年のお祭り。ああいう大きなお祭りをやるということは、後ろに意図があるんですよね。国家行事には裏があると常にそう思わなければならないんだよね」 (P158)

改めて書く。2020年、東京五輪という大きなお祭りがやってくる。

2014年3月 6日 (木)

「周りと同じ考えで無事でいられるというのではなく、もっと自分自身で言葉を選び考え、決して他人の言葉が自分の言葉と同じと思ってはいけない」

また「言葉」について考えてみたい。

今年2月21日のブログで、石牟礼道子さんの次の言葉を紹介した。それを改めて。(森達也さん『クラウド 増殖する悪意』から)

「昔の言葉は織物のように生地目があって、触れば指先で感じることができたのに、今の言葉は包装紙のようにガサガサとうるさくて生地目がないの」 (P24)

ここで石牟礼さんは、「言葉」を「織物」に例えている。

そして、きのうドキュメンタリー映画『ドストエフスキーと愛に生きる』を観た。ドイツ在住の84歳の女性翻訳家を追った作品。そのスヴェトラーナ・ガイヤーさんは、映画の中で、ドストエフスキーの作品の翻訳について、次のように語っていた。

「汲めども尽きぬ言葉の織物。すでに訳したことがあっても、汲み尽くせない。最高の価値ある文章である証拠。それを読みとらねば」

「洗濯すると繊維は方向性を失う。糸の方向をもう一度整えなければならない。文章(テクスト)も織物(テクスティル)も同じこと」


上記の石牟礼さんの言葉と重なるようで、非常に興味深い。

そもそも生地を表す「テクスティル」と、文章を表す「テクスト」は同じラテン語の「織る」が語源ということ。一つ一つ糸が織り重なり合って生地ができるように、文学もまた一つ一つによる言葉の織物だと、スヴェトラーナは語っている。非常に良い表現だと思った。

なぜ日本という社会では、石牟礼さんが言うような「生地目のない」言葉があふれてしまうのか。

こんな指摘を見つけた。

ジャーナリストの佐々木尚俊さんは、著書『「当事者」の時代』で、日本で「曖昧な言葉」が広まる理由について次のよう書いている。

「日本には外部に対して閉ざされた共同体が非常の多い。農村や企業、さらには大学の体育会やサークル活動だって閉鎖的になりやすい。そういう閉鎖的な共同体では、わざわざ言葉をつかなくてもなんとなくの空気感で意志が伝えられるようになる」


「そしてこの閉鎖的共同体から派生的に生まれてきたハイコンテキストは、長い歴史の中で日本社会の多くの場所に浸透している」 (P68)

「この共同体の構成員たちは、『同じ空気感、同じコンテキストを共有している』という感覚だけに従って、強い紐帯で結ばれている」 (P72)

ハイコンテキストとローテンキスト。

この言葉について、佐々木さんは、次のように説明している。

「何かを語るときに、明瞭な口に出された言葉のやりとりだけで成り立つのがローコンテキスト。これに対して、口に出している言葉の背景にあるコンテキストまで考慮に入れないと、コミュニケーションが成り立たないのがハイコンテキストだ」

限られた社会で暮らしていけば良い時代は、言葉ではなく、空気感でやっていことも可能だったのだろう。言ってみれば、生地目がないような言葉でもやりとりできる社会。

でも、これからもそうなのだろうか。いろんな価値観を持った人が集まる多様性を持った社会、またそれこそグローバルな世界、そんな中で人と付き合っていくためには、ハイコンテキストなやり方では通用しないんだと思う。明瞭な言葉でのやりとり、織目、生地目のはっきりした言葉でのやりとりが必要とされるんだと思う。

その言葉の問題については、上記の映画『ドストエフスキーと愛に生きる』についてのトークイベント(2月21日)でも話題になっている。

まずは、作家の森達也さん。

「政治家は言葉が大切な生き物なのに、軽くなっている。言葉をあまり大切にしなくなってきている。日本人は言葉を文章として残していく、アーカイヴすることがもともと苦手だったが、戦後ますます深刻になってきている。文章に対しての緊張感がなく、しゃべり言葉によって意識が形成されているから。我々はもっと言葉を考えなければならない」

またこのイベントで、映画翻訳家の太田直子さんも次のように語る。

「言葉は人を傷つけることも出来るし、人を救うことも出来る。多くの人が一斉に同じことを言う社会は気持ち悪い。周りと同じ考えで無事でいられるというのではなく、もっと自分自身で言葉を選び考え、決して他人の言葉が自分の言葉と同じと思ってはいけない。だからこそ言葉を意識的に考え生きていければならない」

「空気感」「同調圧力」に流されて、言葉をないがしろにするのではなく、各々が、ひとつひとつ織物のように編んで言葉を紡いでいく。その言葉を持って、多様な人とコミュニケーションをとっていくということが、これまで以上に求められていく時代に入ったのではないか。

2014年3月 4日 (火)

「考えたくないことは考えない、考えなくてもなんとかなるだろう。これが空気の国の習い性だ」

きのうのブログ(3月3日)では、最後に畑村洋太郎さんの次の言葉を紹介した。岩波書店編集『これからどうする』から。

「東日本大震災の津波と原発事故で私たちが学んだ最大のことがらは、“人は見たくないものは見ない、考えたくないことは考えない”という特性を持っているため、敢えて“見たくないことも見る、考えたくないことも考える”ようにしなければ同じ愚を繰り返すことになる、ということではないだろうか」 (P349)

政府の事故調査・検証委員会委員長を務めた経験からの言葉である。

 

今朝の読売新聞(3月4日)にも、その畑村洋太郎さんのインタビューが載っていた。事故から3年、政府や東京電力を強く批判している。

「報告書に『見ないものは見えない。見たいものが見える』など、事故で得た知見を書いたが、ほとんど改善されていない」

「どんなに考え、調べても、自分たちには考えが至らない領域がある。まずそれを認めることだ」


あれだけ大きな事故を起こしても、「見えないものは見えない」。この習性をただすことなく、もう3年が過ぎようとしている。

エッセイストの阿川佐和子さんインタビュー集『阿川佐和子の世界一受けたい授業』で次のように語っている。

「この対談で半藤一利さんにお話を伺いしたとき、『日本人は、起きてほしくないことには、起きないだろうと思ってしまう。先の大戦でも、ソ連は絶対に参戦しないと思い込んでいた』とおっしゃっていたんですけど、たしかに大事な判断をするときに、楽観的になる癖があるのかなと」 (P85)

3年前から変わらないのではない。先の大戦から、ずっと変われていないのである。

作家の荒俣宏さん著書『すごい人のすごい話』から。

「ぼくは、現代の日本人は楽しいことばかり追い求めて、その代償として重いものを背負うことを避けているように見えるんです。例えば、かつて日本が戦争をやったという事実も、きちんと背負うべきだった。でも、そういうことは重いから、できるだけ考えたくない。『背負う』を別の言葉でいうと『あきらめる』。どこであきらめがつくかという問題じゃないですか」 (P314)

去年9月1日の東愛知新聞の社説には、作家の笠井潔さんを引き合いに次のように書かれている。

「『最悪の事態を想定しての必要な準備ができず、危機管理能力を致命的に欠いているのは、日米戦争から福島原発事故にいたるまで、空気が支配する日本社会の宿命的な病理』だ、と作家の笠井潔さんが指摘しています」

「笠井さんは『考えたくないことは考えない、考えなくてもなんとかなるだろう。これが空気の国の習い性だ』と指弾します。場の空気に流される習性からの脱却が大切です。これは国づくり、地域づくりにも言えることなのです」


見たくないものを見ず。考えたくないことは考えず。背負うことを避け、あきらめることを避け、そうやって70年余り、そういう「思考停止」の習性でやってきた。そこで、「第2の敗戦」という人もいる「3・11」を迎えることになった。

 

ドキュメンタリー映画監督の想田和弘さん東京新聞(2013年9月11日)では、次のように語っている。

「放射能汚染や人びとの苦しみを『なかったこと』にしないと、五輪の昂揚感も経済利益も台無しになる。招致の成功で、多数派には原発事故をないものにする強い動機が生まれた」

最初の東京オリンピックは結果として、「第1の敗戦」を「なかったこと」にすることに貢献し、今度の東京オリンピックは、「第2の敗戦」である3・11を「なかったこと」にすることに貢献するのだろうか。

2014年3月 3日 (月)

「敢えて“見たくないことも見る、考えたくないことも考える”ようにしなければ同じ愚を繰り返すことになる、ということではないだろうか」

前回のブログ(2月27日)でも取り上げたが、映画『ハンナ・アーレント』の中で、アーレントは「考えることを拒否した人間は、残虐行為に走る」と語っていた。

この映画については、作家の高橋源一郎氏も、朝日新聞(2013年11月29日)の『論壇時評』で書いている。

「アーレントは、アイヒマン裁判を傍聴し、彼の罪は『考えない』ことにあると結論づけた。彼は虐殺を知りながら、それが自分の仕事であるからと、それ以上のことを考えようとはしなかった。そこでは、『考えない』ことこそが罪なのである」

そして、この「考えない」ということを日本人にも突きつける。

わたしたちは、原子力発電の意味について、あるいは、高齢化や人口減少について考えていただろうか。そこになにか問題があることに薄々気づきながら、日々の暮らしに目を奪われ、それがどんな未来に繋(つな)がるのかを『考えない』でいたのではないだろうか。だとするなら、わたしたちもまた『凡庸な悪』の担い手のひとりなのかもしれないのだ」

我々も気づきながら「考えない」。すなわち「思考停止」に陥っているのである。

 

作家の村上龍氏は、著書『賢者は幸福でなく信頼を選ぶ。』で次のように書いている。

「多くの人が『思考停止』に陥っている。シリアスな現実から目をそらし、希望的観測をまじえて将来を予測し、考えることから逃げる。その方法、生き方は、とても楽だ」

「わたしたちは、それについて考えることが面倒で苦痛なとき、とりあえず精神が楽になる道を選ぶ傾向がある。表面的なことだけが語られ、都合の悪い事実は覆い隠され、そこから学ばなければいけない過去の出来事については、できるだけ早く忘れようとする」 P201)

考えることを拒否する。思考停止に陥る。村上氏は、そういう生き方は「楽だ」とする。だから、「同調圧力」にただただ、流されていってしまうのであろう。

われわれは、アインヒマンの「凡庸な悪」を笑ってはいられない。

韓国人監ポン・ジュノが撮った公開中の映画『スノー・ピアサー』。この中で、主人公の男、カーティスはクライマックスで、次のように語る。

「俺たちがずっと壁だと思っていたのは実は扉だ」

そこに外に通じる「扉」があるのに、それを見ないふりして、ただの「壁」だと勝手に思い込む。扉がないことを理由に、期限切れのシステムから飛び出さずに、いつまでも、目の前のシステムに居続ける。

この映画は、「國體護持」から抜け出せない人々を描いた力強い「寓話」でもある。

 

見たくないものを、なかったことにする。この傾向は、日本人には特に強いようだ。

社会学者の宮台真司さんビデオニュース・ドットコム『Nコメ』(2013年11月2日放送)では、まさにそのままの言葉を口にしている。

「日本国民によく目立つ傾向。見たいところしか見ない。見たくないところは見ないというより無かったことにする」 (1時間46分50秒ごろ)

その次の回の放送でも、こう述べている。ビデオニュース・ドットコム『ニュース・コメンタリー』(2013年11月9日放送)より。

「小室直樹先生は、日本人の悪い癖は『神頼み』だといっていました。要するに見たくないものは見ないというのと同じ。神に頼むだけ、つまり何もしない。見たくないものは見ないのと同じ機能。つまり実際に起こりうる事態について、事前に分析をしてそれだけの備えを整えておくということをしないで進むことを正当化する」 (58分30秒ごろ)

こうした日本人の体質が、もっとも顕著に表れてしまったのが、原発問題でもある。

「失敗学」を研究し、東日本大震災の原発事故を受け、政府の事故調査・検証委員会委員長を務めた畑村洋太郎さんは、岩波書店編集『これからどうする』で、次のように書いている。

「東日本大震災の津波と原発事故で私たちが学んだ最大のことがらは、“人は見たくないものは見ない、考えたくないことは考えない”という特性を持っているため、敢えて“見たくないことも見る、考えたくないことも考える”ようにしなければ同じ愚を繰り返すことになる、ということではないだろうか」 (P349)

 

見たくないものは見ない。すなわち思考停止。そして同調圧力に巻かれていく。

この連鎖から抜けるためには、畑村さんの言う「敢えて”見たくないこともみる、考えたくないことも考える”」。ここから始めるしかないのかもしれない。

2014年2月27日 (木)

「考えることで人間は強くなる」

先週放送されたピーターバラカンさんのTFMの番組『ザ・ライフスタイル・ミュージアム』(2月21日放送)を聞いていたら、ゲストとして出演していたドラマ『あまちゃん』の主題歌で知られるミュージシャンの大友良英さんが、自分の故郷の福島について、次のように語っていた。

「僕は科学者じゃないので、放射能のことをどうにかすることはできないんですけど。こういう状況の中で人はどう生きていくかという考え方を出していくのが音楽家とか文化に携われる人の役目だと思っている。それは多分意見の違う人たちが、違うままでどううまくやっていくかという枠組みかなと思う。お祭りをやるのも、その中の大切な一つだと思っている。じゃないと本当に状況は厳しいので。ただその状況に向かっているだけだと生きていけない」

これは被災地だけではなく、今の社会前提にも当てはまることだと思う。

「同調圧力」によって社会をひとつにまとめるのではなく、多様な価値観をそれぞれ大切にしながら、お祭りや音楽などの文化、エンターテイメントを介在させることによって、その様々な人たち同士がうまくやっていくということ。きっとそれが社会なのだと思う。


それから。「同調圧力」絡みの言葉も追加しておきたい。

読売新聞(2月22日)で、編集委員の芥川喜好さんのコラム『時の余白に』を読んでいたら、次の一文で締めくくられていた。

「人がどう騒ごうが、自分で受け止め、自分で考えて、つまらなければそこから立ち去ればいい。自分は加わらない、自分はそうしない、という身の処し方もあるのです」

この言葉は、「同調圧力」に対する処し方となっていて興味深い。では、芥川さんは、上の言葉を映画『ハンナ・アーレント』から導いている。

ナチス政権のもとで、ユダヤ人虐殺の中心的人物であるアインヒマンについて、映画『ハンナ・アーレント』の中で、ハンナ・アーレントは次のように語る。

「人間であることを拒否したアイヒマンは、人間の大切な質を放棄しました。それは思考する能力です。その結果、モラルまで判断不能となりました。思考ができなくなると、平凡な人間が残虐行為に走るのです」

そして、映画のクライマックスで、アーレントは学生への講義を次の言葉で締めくくる。

「考えることで人間は強くなる」

芥川喜好さんは、この映画について次のように書いている。

「世評は知らず、この映画の主題が『言葉』であることが面白かったのです」

「言葉、すなわち思考、すなわち思考する人間」

つまり、「同調圧力」に加わらないためには、やはり「考えること」と「言葉」が重要ということなのだろう。

このブログではいろんなことがつながって、結局、同じことを繰り返し書いている。そんな気になってきた。「考える」(2012年5月8日のブログなど)「言葉」(2013年11月21日のブログ など)

 

2014年2月26日 (水)

「日本社会が自信を取り戻し、再び前進するためには、世界の多様な文化や価値観、政治や社会に目を開き、そこから多くを学びとるとともに、国内でも多様性を涵養してくことが必要です」

引き続き、「多様性」について。

前々回(2月25日)前回(2月26日)のブログでは、日本の経営者や経済学者が、グローバルな時代には「付加価値」が必要と言いながらも、実際は、それと正反対の広報性を持つ「均一化」「効率化」を進めている、ということに触れた。

では、そのグローバルな時代に、僕たちはどうふるまえばいいのか。どんな社会を目指せばいいのか。

元国連難民高等弁務官で、国際政治学者の緒方貞子さん。おそらくもっとも国際社会を知る日本人の一人だと思う。彼女の言葉を、岩波書店編『これからどうする』から。

「日本はまず足元を固めることから始めなくてはなりません。そのために何が必要か。逆説的に聞こえるかもしれませんが、世界は多様性に基づく場所だということを真に受けとめ、自らも多様性を備えた社会にしていくことだと思います」 (P5)

「日本は、世界は多様な文化や価値観、社会から成り立っていることを十分認識していなかったのではないか。国際的な場で長年働いてきた私は、ここ10年近く携わってきた国際協力の現場でそう思うことが少なくありませんでした」 (P5)

「日本社会が自信を取り戻し、再び前進するためには、世界の多様な文化や価値観、政治や社会に目を開き、そこから多くを学びとるとともに、国内でも多様性を涵養してくことが必要です。そのことが日本に活力を与え、閉塞感を打開することにつながるのです。そこにこそ、これからの日本の進むべき道はあるのです」 (P6)

「世界の多様性と向き合い、自らも多様性に基づく社会を築くために、最も大事なのが教育のあり方です。日本の教育の最大の問題は、画一性ではないでしょうか。生徒たちは同じ教科書で、一斉に同じことを学ばされています。異なる意見とのコミュニケーションを通じて、自分の意見を鍛え上げる、そうした訓練の場にはなっていません。世界の中で生きていく力を身につけるための、多様性をはぐくむ教育に変えていくべきです。語学力はもちろんですが、それに限りません。より広がりのある視野をもとうとする好奇心、異なる存在を受容する寛容さ、対話を重ね自らを省みる柔軟性、氾濫する情報をより分ける判断力、そうした力の総体こそが求められているのです」 (P6)

この緒方貞子さんの言葉は、とても深く深く、正鵠を射ていると思う。上記の言葉だけでも、今日本社会の持つ多く問題点について言及している。

僕らが目指すべき社会の姿だと思う。ぜひ、政治家の方々、経営者の方々、そして僕自身を含めた市民の方々も、この言葉に胸に刻んでおいた方がいいのでは。素直にそう思う。



「なんか、どんどん価値観がせばまってくる感じがするじゃん?そこを心配するべきなんじゃないかな」

きのうのブログ(2月25日)では、「違い」というもの大切さや、それを面白がる必要についての言葉を並べてみた。

要は、弁護士の伊藤真さんが「一人ひとりが多様に生きていることこそがすばらしい」と語っているように、「同調圧力」に押し流される均一的な社会を作るのではなく、個人の生き方や価値観の多様性が担保された社会こそ、僕らが目指すべきものなんだと思う。

今回は、その「多様性」について考えさせてくれる言葉を並べてみたい。

まずは、みうらじゅんさん。宮藤官九郎さんとの対談本『どうして人はキスをしたくなるんだろう?』から。

「何に一番価値を見いだすかって、人それぞれっていう考え方があったほうがいいよね。俺はたくさん選択肢がある時代のほうが楽しいと思うんだけどなぁ。だって、なんだか乱交みたいでイヤらしいでしょ、全員がひとつになるって() (P218)

「俺はなんか、今の日本って、精神的に不景気な感じがするんだよね。心が貧乏くさいっていうかさ。なんか、どんどん価値観がせばまってくる感じがするじゃん?そこを心配するべきなんじゃないかな。本来は自分に理解できないからこそ掘る面白さもあるんだけおねぇ。お金に換算できるものって大概、貧乏臭いとおもうけどね」 (P223)

あの、みうらじゅんさんも心配しているのである。

作家の平川克美さん『脱グローバリズム』から。

「『もっと誇りを持て』といいたいよね。貧乏であることとか、自分の生き方にさ。自分の価値観が世間と異質なものであってもいいという矜持といえばいいのかな。それがあることで、価値観がバラけていくと思うんですよ」

「どうも、お金の多寡で階位が決まるような一つの価値観が、この何年間にものすごい勢いで進行したしたなと僕は思っていて。そこをバラけさせないと、今の問題というのはなかなか難しい。また結局、金詰まれたらだめか、みたいな話になっちゃうんじゃないかと思います」
 (P54)

 

2人とも、「お金」というものへ価値観が収斂してしまっていることに疑問を投げかけているのが興味深い。

予備校教師の里中哲彦さん著書『黙って働き 笑って納税』から。

「全員が似たような考えになっているときは、ほとんどの人はものごとの本質を考えていない」 (P23)

結局、思考停止ということ。そんな世界は、やがて自分たちの首をしめてしまう。

映画監督の山田洋次さんは、TBSラジオ『久米宏ラジオなんですけど』(2013年12月14日放送)に出演して、今の日本人の持つ価値観について、次のように語っていた。

「今は、その価値観までも金縛りでしょ。寅はかなりでたらめなんだけど、自分の価値観を信じてますから。平気でそれで行く。それが今の人間にはできない」

最後に、思想家の内田樹さん著書『内田樹による内田樹』から。

「全員が同一の『正しさ』で統制された個体識別できない集団は、そうでない集団よりも生き延びるチャンスが少ないからです。集団生き延びるチャンスを減殺するようなものは、その定義自身によって『倫理的でない』ということになります。それが僕の考え方です」 (P31)

 

上記の言葉から見えてくるのは、今の日本は、「お金」や、都合のよい「正しさ」という価値観で社会や集団を均一化、画一化しようとしているのではないか。(2013年5月15日のブログなど )。

 

意識的か、無意識なのかはわからないが、その単一的が「同調圧力」となって、社会の幅を狭めている。いわゆる閉塞感というやつではないだろうか。そんな社会は長続きしないというのが内田さんの言葉の趣旨だと思う。

前回のブログで書いたように、「多様性」と、「均一化」「効率化」はトレードオフの関係である。まさに文字通り。

これまでのブログ(2013年5月22日など)でも何回も書いてきたが、なんだかんだ言っても、今の社会は「多様性」をとにかく排除したい、という風潮があるのだろう。困ったもんだ。

2014年2月25日 (火)

「『違い』を『嫌いだ』というのではなく 『面白い』と思えたら いろいろと楽にならないかな」 

もう一度、「同調圧力」から、自分の考えを転がしてみたい。

前々回のブログ(2月20日)に、一水会の鈴木邦男さんの次の言葉を書いた。著書『愛国者の憂鬱』より。

「日本にはそういう『個』の自由がなくて、何か『個』を消すことが当たり前」 (P204)

 

社会の中での同調圧力が強まっていき、どんどん「個」というものが消されていく。

本来、
そんな風潮は、近代憲法の理念にも反するものだという。弁護士の伊藤真さんは、著『憲法問題』で、次のように書いている。

「個人の尊重は、立憲主義に基づく憲法の根底にある大事な考え方です。近代市民革命そして近代立憲主義憲法の誕生は、この個人の尊重のためにあったといっても過言ではありません」

「人は一人ひとり、違うものです。みんなと違ってもいいという消極的な意味ではなく、一人ひとりが多様に生きていることこそがすばらしい。それが個人の尊重です」 (P93)

 

一人ひとり、違うもの。という考え方を推し進める事こそ、まさに「同調圧力」に対して「水を差していくこと」なのではないか。(2013年9月13日のブログなど)

乙武洋匡さんも、よく「みんなちがって、みんないい」というメッセージを口にする。ジャーナリストの上杉隆さんの対談本『偽悪者』から。

「僕が一貫して訴えてきたのは『みんなちがって、みんないい』ということ。このメッセージを伝えるには、むしろ手足のない僕の体は便利なんですよ。だって、『違い』が一目瞭然だから()」 (P234)

そして、「違い」についての日本での受け止め方についての疑問も興味深い。

海外で暮らしたことのないボクが言うのもなんですが(笑)、『違い』って英語では『Difference』だけど、日本語の『違い』には『Wrong』の意味、つまり『正解じゃない』という意味合いも含まれている……そこには、文化の大きな違いを感じますね」 (P235)

日本の企業は、グローバルな時代を戦うため「効率化」をどんどん進める。その一方で、企業人は、よく「これからのグローバルな時代は、自分の『付加価値』を高めることが大事」ということを言ったりする。

たとえば、竹中平蔵氏。自ら会長を務めるパソナのHPで次のように書いている。

「去年より今年、自分がいかに付加価値を高めたか、今年から来年、いかに自分が賢くなっていくか、自分のスキルをどのように高めていくのか、といったことがこれまで以上に重要になってきます」

 

そこで考えたい。「付加価値」とはなんぞや。

 

劇作家の平田オリザさんは、著書『新しい広場をつくる』で次のように書いている。

 

「付加価値とは何か。それはとりもなおさず、『人との違い』ということだろう」 (P104)

 

つまり、「効率化」と「同調圧力」は裏表のセットであり、それらと「違い」や「付加価値」はトレードオフの関係なのではないか。経済学者や企業人の言うように、「効率化」と「付加価値」の両方を追い求めることはそもそもが無理くりなことなのではないか。

そしてグローバルな時代の中を生き残っていくためには、「効率化」を進めるのではなく、非効率ではあっても「違い」を内包する社会を作っていかないといけない、ということなのではないか。

それこそ外国人留学生についてのベストセラーを書いた蛇蔵さん『日本人の知らない日本語3』で、次のように書いている。

「『違い』を『嫌いだ』というのではなく 『面白い』と思えたら いろいろと楽にならないかな」 (P157)

 

グローバルな時代こそ、この蛇蔵さんの言葉と上記の乙武さんの言葉を忘れない方がいいのでは、と思った。

2014年2月20日 (木)

「日本ってそういう国ですよね。『誰もやってないこと』をやるなっていう国ですよね」

前回のブログ(2月18日)まで、4回続けて「同調圧力」についての言葉を並べてみた。今回も「同調圧力」という文言は出てこないけど、そのニオイのする言葉を並べてみたい。

一水会の鈴木邦男さんの言葉。坂本龍一さんとの対談本『愛国者の憂鬱』から。

「僕は左翼とも右翼とも付き合いがあるけれど、みんな『自分の言葉を組織の中で言うことはわがままで、全体を壊す』と言います。だから、みんなは自分のことを言わないまま、一つの意見になって突き抜けいってしまう。途中で立ち止まることができないんですよ。ましてや、引き返すことはできません」 (P202)

「日本にはそういう『個』の自由がなくて、何か『個』を消すことが当たり前のように思われています」 (P204)


最初の言葉は、何度も取り上げるが、加藤陽子さんの指摘とそのまま重なる。(2月13日のブログ


解剖学者の養老孟司さんの指摘。著書『バカの壁のそのまた向う』から。

「『世界にたった一つの花』という歌があったと思う。でも世界に二つある花なんか無い。どの花だって、世界にたった一つである。でもこういう歌ができることについては、『同じ』ものがたくさんあるというのが、暗黙の常識になっていることを示す」 (P161)

続いて、
TBS『報道特集』のキャスターの金平茂紀さん新聞『週刊読書人』(1月10日号)から。

「日本のマスコミはメディアの強い内部統制、内部規律がある一方で、『内部的自由』の方がまったく保障されていないと思いますね」

そして、ピーター・バラカンさんTFM『ライフスタイル・ミュージアム』(1月17日放送)から。

「日本ってそういう国ですよね。『誰もやってないこと』をやるなっていう国ですよね」

中日ドラゴンズのGM、落合博満さん著書『戦士の休息』から。

「最近の世の中は『ダメだ、ダメだ』とか『こうしなきゃいけない、こうあるべきだ』が多すぎて。自分が好きで足を運んでいる場所に決め事が多すぎるのかな」 (P192)

こうやって並べて読むと、今の社会の持つ「息苦しさ」が伝わってくる感じがする。

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