メディア・テレビ

2014年8月29日 (金)

「われわれは道化師にもっと多くのことを要求したい。道化師は社会批評家になりうるのだ」

今回は「普通」から離れて、再び「お笑い」について。

以前このブログ(4月10日 5月13日)で、今のお笑いには、「社会批評」や「社会批判」、「社会風刺」の視点がない、という話を展開した。

作家の赤坂真理さんの本を読んでいたら、同じような指摘が書かれていたので、ここで紹介したい。著書『愛と暴力の戦後とその後』より。

「『お笑い』や『お笑いタレント』とはなんだろうと思うとき、それはコメディではなくコメディアンでもなく、『場の調停者』『場の仕切り屋』である、という言葉が浮かぶ。場を仕切ったり、なごませたり、そういう役目をする人たちが、お笑いタレントなのだ」

「それも、異質なものが出逢う場所の調停者ではなく、同質集団内部の調停者である」

「だから、お笑い芸人(ひな壇芸人)が会するバラエティ番組を見ているとよく、閉鎖集団のいじめを見る気持ちになるのだ」 (P157)

本来、お笑いには、今の社会の常識を疑い、からかい、おちょくったりすることで、閉塞感を打ち破り、新しい価値観を生み出していく。そんな役割があったはず。

なのに、今のお笑いは、「ムラ」の空気を守り、それを長続きさせることにしか作用していない。閉塞感を打ち破るどころか、閉塞感を助長している。だから、物足りない。

喜劇役者、コメディアン、道化師、芸人…。私たちの社会は、どんな時代でも、社会に風穴を開ける「笑い」を必要としてきた。

日本でサーカスのプロモーターをする大島幹雄さんという方がいる。彼の著作に、ロシア革命の時の伝説的な「道化師」ラザレンコについて書いた『サーカスと革命』という本がある。そのなかに、こんな記述がある。

ヴィターリイ・ラザレンコ。彼は、革命が生んだまったく新しいタイプの道化師であった。いままでの道化師が、自分自身をカリカチュア、いわば<負の存在>として畸形化し、笑わせることにより、社会の歪みを告発してきたのに対して、ラザレンコは、自分ではなく、外敵や権力を徹底的にいたぶり、揶揄する、攻撃的道化師であった」 (P8)

20世紀前半のロシアで道化師として活躍したラザレンコ。まさに「社会風刺」を持った道化だったのだろう。そして、その活動は社会とリンクし、風穴を開ける役目の一端を担う。

「革命という歴史的瞬間に立ち会ったラザレンコは、道化師の反逆精神を逆転させ、みずからの道化のエネルギーとして、アジテーター・クラウンとして民衆の先頭に立った」 (P8) 

本質的には、こうした「道化師」も「お笑いタレント」も役割は変わらない。はず、である。

もちろん、「お笑いタレント」全員が「社会風刺」に走る必要はない。ただ誰かが「笑い」で社会に新しい風穴を開ける、凝り固まった常識に水を差す、そんな役割を演じてほしい。そんな人が、我々の社会にもいてほしい。そう、思う。

ラザレンコを支援した人に、当時のロシア革命政権の教育人民委員であったルナチャルスキイという人物がいる。彼は、こう語っている。

「われわれは道化師にもっと多くのことを要求したい。道化師は社会批評家になりうるのだ。その偉大なる始祖はアリストファネス(古代ギリシアの喜劇作家)である。道化師すなわち民衆的道化の諷刺は、全的に正当で鋭く、深く民主的であらねばならない」 (P52)

この言葉を、そのまま今の「お笑い界」にも送りたいと思う。


2014年5月15日 (木)

「というより……先がどうなるかわからない方が、コントも人生も面白いでしょう」

前回のブログ(5月13日)の続き。引き続き「お笑い」について。

ここまで、最近のお笑いタレントのレベルは上がっているが、その一方で、
少しでも現実を変え、
新しい時代、新しい価値観、新しいものをつくっていこうという気概が失われているのでは、という言葉をつづってきた。

そんななか、今週の雑誌『AERA』(5月19日号)を読んでいたら、「現代の肖像」でお笑いタレントの松本ハウスが取り上げられていた。

ハウス加賀谷さんとキック松本さんとの、お笑いコンビで、加賀谷さんが統合失調症を悪化させたことで活動を休止していた過去を持つ。今は、テレビ『バリバラ』でも活躍しているし、著書『統合失調症がやってきた』も興味深く読ませていただいた。

この記事の中で、マネージャーの大関さんが次のように語っている。

「今の民放さんは統合失調症をいじれない。統合失調症がもっと認知されて、世の中がもっとバリアフリーになって、松本ハウスに健常者のタレントさんに普通に絡む。そういう絵が、未来を明るくすると僕は思うんです」

松本ハウスが自らの統合失調症をお笑いとすることで、少しでも今の社会に風穴を開け、世の中のバリアフリーに貢献できればということ。まさに、それこそお笑いの大切な役割のひとつだと思う。


しかし、「民放では統合失調症をいじれない」という。なぜか?

イラストレーターの山藤章二さん毎日新聞夕刊(3月28日)での言葉を改めて。(4月10日のブログ


「自分の想定内のお笑いが好まれ、想定内のオチが好まれる。想定内のお笑いを逸脱するともう、処理できない」

こういう状況では、確かに統合失調症は扱えないし、松本ハウスの出演すら難しいのだろう。「何かおこしそうな人」の居場所は、今のテレビない、ということらしい。

しかし、である。上記の『AERA』の記事の中で、医師の計見一雄さんのこんな言葉が紹介されている。


「そもそもね、芸能と狂気は人類の発生以来とても仲良しなんです」

「お笑いの世界は、きっと逸脱に対して寛容なんだろうね。その世界が、差別だの偏見だのと言い出したら衰弱しちゃうよ。テレビなんてどうだっていいじゃないか。お客の顔が見える芝居小屋で芸を磨けばいいと伝えておいてくれよ」


想定内という予定調和ばかり求めているから、新しい価値観を生み出すことができない。そんなお笑いが面白いのだろうか。

松本ハウスの、キック松本さんも次のように言う。

「というより……先がどうなるかわからない方が、コントも人生も面白いでしょう」

だから、未来に明るさを、新しい可能性を感じることができるのではないか。閉塞感を打ち破るというのは、そういうことなんだと思う。

最後に、作家の森達也さんが、著書『クラウド 増殖する悪意』で書いていた言葉を載せておきたい。

「反社会的であるからこそ、メディアは光を当てる必要があるのだ。社会的に容認された存在にしか光を当てないメディアなど必要ない」 (P57)

マネージャーの大関さんではないか、民放テレビのバラエティ番組が松本ハウスのお笑いを活かせるような日がいつか来てほしいと思う。そうしないと、お笑いタレントのレベルが上がっていたとしても、お笑い番組が、いやテレビそのものが、そのうち居場所をなくしてしまうのではないか。そう思うのだが。

2014年5月13日 (火)

「特に新しい笑いの世界を創造していく者は、いつも世の中を少し斜めからじっと観察し、思考しているような者たちである」

前回のブログの「お笑い」についての続き。

前回では、元フジテレビの佐藤義和さんの「新しいお笑いをつくろうという気概のあるバラエティ番組がなくなった」という言葉を紹介した。

これに付け加えておきたいが、これはお笑いタレントだけの問題ではない。当然ながら、当時に番組制作者たちの側にも「新しい価値観」を創り出そうという気概は失われているということでもある。

前回同様、佐藤義和さん著書『バラエティ番組がなくなる日』より。

「このお笑いオタクのタレントたちは、テレビマンたちにとって、非常に使い勝手がいい。活躍の場所を与え、そこそこのギャラを与えていれば、静か
にしかし喜々として自分の仕事をこなす。研究熱心だから、作品のクオリティも高く、とくに不平や文句をいわない」 (P126)

そのテレビマンたちについて、次のように指摘する。

「テレビ局、とくにキー局は、相変わらず超人気企業だから、いわゆる高学歴の若者がほとんどだ。彼らは、飲み込みも早いし、記憶力もある」 (P158)

「このタイプのディレクターは、既存の権威を迷うことなく尊重する傾向が強い。ビック3を頂点としたお笑いタレントのヒエラルキーをそのまま受け入れ、重視する」 (P159)

頭もいい、飲み込みもいい…、つまりスペックは高性能だけど、ただそのまま現状を受け入れてしまう体質を持っている。

お笑いタレントと、バラエティ制作者は、まったく同じような状況となっている。

「バラエティ番組の制作者や出演者が、へらへらした薄っぺらい存在であったらならば、新しい価値観や発見を示すことはできない。特に新しい笑いの世界を創造していく者は、いつも世の中を少し斜めからじっと観察し、思考しているような者たちである」 (P189)

「社会風刺」や「批判」を試みる番組がどんどんなくなっている背景には、新しいことをチャレンジできる場や余裕がなくなっていることもあるのだろう。実際に、「辺境」としての深夜番組や雑誌はどんどん減っている。(2013年5月2日のブログ

こうした傾向は、バラエティ番組だけではない。情報番組や報道番組などでも同じことが起きている。

毎日新聞夕刊(4月2日)『テレビから消えた辛口コメンテーター』という特集記事で経済アナリストの森永卓郎さん

「何かを起こしそうな人はトレンドではない。お笑いならタモリさん、明石家さんまさん、ビートたけしさん。キャスターなら久米宏さん、鳥越俊太郎さん、亡くなった筑紫哲也さん」

まあ、年末年始になれば、どこかのチャンネルはたけしさんや、さんまさんばかり使っているので、上の指摘がそのまま当てはまるとも思えない。

ただ、権威を面白がって風刺したり、ちゃんと「批判」をしたりする人がテレビから消えている傾向にあるのは事実だと思う。そこには面倒くさいことを避けるというコンプライアンス的な風潮もある。生番組が減っているというのも、同じことなのだろう。

ジャーナリストの田原総一朗さんは、上記の記事の中で次のように指摘している。

「世の中が大きく変わってきた。いわゆる『批判』に国民が関心を示さなくなっている。景気のいい時代は批判に関心を持つだけのゆとりがあった。そのゆとりが今はない」

お笑いだけでなく、社会的に「批判」や「風刺」といった「水を差す」行為がやりにくくなっているのは確かだと思う。(2013年9月13日のブログ

でもでも、である。

やっぱり報道番組やお笑いから、批判精神が消えたらお終いなんだと思う。

「時代の風を受けながら、未来を切り開こうという思いが、制作側にも、出演者にもあふれていた。そうした気概を感じさせてくれるバラエティ番組がほとんど見当たらなくなった」

先日、このブログ(4月10日)で「最近のお笑いには批評精神がない」ということを書いた。

そこでは「失念している」と書いていたが、その元となる言葉がみつかったので、改めて紹介したい。元フジテレビのプロデューサー、佐藤義和さんの言葉。著書『バラエティ番組がなくなる日』より。

まず、現在のお笑いタレントたちについては、次のように書いている。

「今どきのお笑いタレントたちは、とても頭がよく、社会性もある。ネタの完成度も高く、整っている。現在の視聴者にどのようなものが受けるかを研究した上で、正しい計算をしている。どんな舞台に立たせても、一定の笑いをとり、客を満足させることができるのだ」 (P123)

これは、前回の時に書いた爆笑問題の田中裕司さんの言葉と重なる。

しかし佐藤氏は、お笑いのレベルは上がっていると指摘する一方で、次の指摘もしている。

「その一方で、時代を変えていこうとする気概、気負いのようなものはまったくない。ないことが悪いとは思わないが、新しい時代をつくっていくための武器としての破壊力もあまり感じられない」

「それはお笑いタレントに限った傾向ではなく、日本の若者全体に共通することだろう。世の中に不満をもって闘おうとすることは、彼らにとって見返りのないそんな役回りである。多少、不満を抱いていたとしても、それは心のなかにしまって、静かに生きていたほうが無難だということだ」 (P123)

その結果、現状維持や予定調和の温存が続いていくことになっているのではないだろうか。

新しい価値観というものが生まれることなく、いつまでも閉塞感は続いてしまう。

佐藤義和さんは、かつて自分の担当していた番組については次のように書いている。

「確かに、『オレたちひょうきん族』をくらだない番組だったといわれれば、そのとおりかもしれない。少なくとも高尚な番組ではなかっただろう。子どもたちに悪い影響を与えなかったといい張るつもりはない。しかし、新しい笑いをつくり出そうという情熱はあった。時代の風を受けながら、未来を切り開こうという思いが、制作側にも、出演者にもあふれていた。そうした気概を感じさせてくれるバラエティ番組がほとんど見当たらなくなった」 (P23)

新しいものをつくろう、未来を切り開こう、という気概はあったという。

新しいものを創り、未来を切り開くためには、現状を見つめ、揺らし、時には否定することが必要となる。それが「批評精神」というもの。

佐藤氏は、こうも書いている。

「日本人は、社会風刺の価値をふたたび見つめるべきだと私は思っている。まだ具体的に何をすればよいか、プランはないが、日本のお笑いをもう少し腰のあるものにするために、社会風刺の切り口が必要なのだろうと思う」 (P182)

「その根拠のひとつは、笑いの原点に『社会批判』があるということである。社会批判といっても、新聞の社説や雑誌記事のように『こんな問題が存在する』『こんな悪い奴がいる』といったトーンではなく、『社会風刺』というしゃれた手法で、この社会を切っていく。それも日常社会を慎ましく送る庶民の視点で」 (P188)

せっかくタレントのレベルが上がっているのなら、「新しい価値観が生まれるかもしれない」という可能性を感じられるお笑いを少しずつでいいので作っていってほしい。

お笑いには、現状に水を差す大切な役割があるのだから。

個人的な心からの希望です。

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