「今の日本のように、生活実感のない男性が社会を動かしている限り、なかなか『女性にとって働きやすく、子育てをしやすい社会』を実現するのは難しいのではないでしょうか」
新聞各紙で東京都議会の「やじ問題」について読んだ。
この発言は、セクハラ発言ではない。完全な女性差別発言だと思う。
やじ発言の議員も議員なら、自民党も自民党、都議会も都議会、都知事も都知事。全ての対応が最悪な感じ。まさに「見てみぬ振り」。
きのうの東電の株主総会での東京都の対応もそうだが、舛添都知事の「見守る」という発言は、「見てみぬ振り」とまるで同義。「このまま東京五輪、やって大丈夫か」というのが率直な個人的感想。なにが「世界一の都市に」「おもてなし」だよ、といいたくもなる。
その「やじ」というか、差別発言をした鈴木章浩都議の記者会見。次の言葉が気になった。毎日新聞(6月24日)より。
「正常化のためにも頑張っていかねばならない」
「調査を呼びかけなくても、議長を中心に正常化に取り組まれると思う」
「これからは、正常化のために、こういうことがないようにすべきだ」
何よりも、都議会の「正常化」が大事と言いたいらしい。
自分がした発言や、自分が持っている価値観、そして嘘をついたこと、そうした問題に対する総括より、都議会の正常化が大事という姿勢。
彼の対応も、「目の前」の問題より、「システム・組織」のツツガナイ運営や存続の方が大事、ということなのである。やれやれ。
東京新聞(6月23日)の『解説』で、石川修巳記者は次のように書く。
「ネットや海外の批判に押される形で否定から一転、やじを認めた張本人が『議会の正常化』を掲げて議席に執着する姿自体、女性に配慮を欠いた男目線に見える」
最近読んだ、ある指摘を思い出す。スウェーデン出身で日本在住の武道家、ウルリカ柚井さんの指摘、著書『武道の教えでいい子が育つ!』から。
「今の日本のように、生活実感のない男性が社会を動かしている限り、なかなか『女性にとって働きやすく、子育てをしやすい社会』を実現するのは難しいのではないでしょうか」 (P150)
生活実感がない政治家には、社会をよくすることはできないということ。「目の前」にちゃんと向き合わず、見てみぬ振りをする政治家はダメということ。
今日、松本サリン事件の発生から20年が経つ。
新聞各紙には、松本サリン事件の特集記事が載っている。きのうの読売新聞(6月26日)には、河野義行さんが、当時、自分を犯人扱いにした警察とメディア、そして実際に犯行を行ったオウム真理教に対して、次のように語っている。
「それぞれに『組織の正義』があったのでしょう。それは一般企業でも同じ。そういうことをしないとはだれも言いきれない」
「組織の正義」を盲信し、それを振りかざす。肝心なことは見てみぬ振り。そして、大きな過ちを犯していく。
やじ発言の鈴木章浩都議、それに自民党、舛添都知事の「見てみぬ振り」と「システム・組織優先」の対応にも、同じような過ちのニオイがする。
最後に、次の言葉を載せておく。作家の森達也さん。著書 『クラウド 増殖する悪意』から。
「『する』のではなく『しない』ことで、組織は時折、信じられないくらいに冷酷なふるまいをする」 (P30)