★「予測社会」

2016年6月18日 (土)

「未来を変えるためには、今やることをやらないといけないんだなあと」

きのうテレビを見ていたら、ラグビーの五郎丸渉選手のコマーシャルが流れてきた。その中で次の言葉を口にした。(シチズンのCM より)

「未来を変えられると人は簡単に言う。でも違う。今を変えない限り、未来は変わらない」

「今を変えろ!」


この言葉を調べてみると、もともとは元日本代表のヘッドコーチ、 ジョン・カーワン氏が五郎丸選手に言った言葉のようである。スポーツニッポン(2015年10月13日)より。

「お前が変えないといけないのは、今だ。今を変えなければ、未来は変わらない」

アナウンサーの町亞聖さんも少し前に同じことを言っていた。文化放送『ゴールデンラジオ』(2月3日放送)より。

「みんなよく『未来を変えよう』って言うじゃないですか。だけど、変えられるのは未来じゃなくて今だけなんですよね。未来を変えるためには、今やることをやらないといけないんだなあと」

最近、未来」という言葉があふれている。まもなく始まる参議院選挙のキャッチコピーでも沢山使われるのだろう。

安倍総理は、今年1月の施政演説で「未来に挑戦する国会」と言い、「未来」という言葉を多用した。(『★前のめり社会』

しかし、世間に「未来、未来…」が溢れることで、「今」よりも「未来」が大事、そんな雰囲気が生まれていないか…。

でも、未来を変えるためには、今を変えなければいけない。

作家の赤川次郎さんが、今回選挙権を手にする19歳の若い世代に向けた言葉。東京新聞(6月12日)より。

「若い世代に言っておきたい。未来は変えられるのだ」

「既得権にあぐらをかいている大人たちに『NO!』を突きつけてあわてさせる。痛快じゃないか。さあ始めよう」


そう。今の政治家たちに「Yes」と「No」を突きつける。そうやって自分たちの「今」を変え、そして「未来」を変えていく。それが選挙。

マエキタミヤコさんの言葉。著書『原発をどうするか、みんなで決める』より。

「社会は可変です。なのに、『何をいっても無駄、変わらない』と思っている人がいかに多いことか。そう思っているから社会は変わらないのです。それはもったいないし、とても悔しいことです」 (P14)

おそらく“今を変える”というのは、“今の社会を変える”ということでもである。

しかしながら、である。日本の社会は「変えること」を避ける風潮が強い。そう思う。

心理学のアドラーの研究で知られる岸見一郎さんの指摘。文化放送『ゴールデンラジオ』(5月23日放送)より。

「変わるのが怖い。変われないのではなく、変わりたくない。これまでと違う生き方を選んだら、次の瞬間に何が起きるか予測できない。今までの自分の生き方がいかに不自由で不便であっても、次に何が起きるかを予想できた方が楽だと思う人は変える気を持つことができない」

予測することで安心する社会にいると、変えることが怖くなる。でも、それだと自分が望む「未来」は手に入らない。(『★予測社会』

思い切って一度、変えてみたら、新しい世界が次々に広がってくるのかもしれない。もうひとつ岸見さんの言葉。

「違う人生を選ぼうと思ったら、本当に崖っぷちに立っている感じ。目の前の道が見えなくなっている状態。怖いんですけど、その怖さを一度は乗り切らないといけない。一歩前に進んだら、次の一歩も踏み出せる。一度も前に踏み出したことがない人は、踏み出せない。決心するしかない」

思い切って今を変えていく。それを積み重ねていくことが重要なのではないか。

おととい日米通算ヒットの記録を打ち立てたイチロー選手による言葉。(NTT東日本のCM より)

「確かな一歩の積み重ねでしか、遠くへは行けない。通信の未来も確かな今日の積み重ねでつくられていく」

もともとのイチロー選手の言葉はこちらです。『夢をつかむ イチロー262のメッセージ』より。

「ちいさいことをかさねることが、とんでもないところに行くただひとつの道」 (P74)

私たちが自ら望むような「未来」にたどり着くためには、「今」を小さく変え続けていくしかない。そう思う。

2014年11月 7日 (金)

「夢中になるのは、自分がしていることがどういう結果をもたらすことになるのか、あらかじめわかっているからではなく、何が起きるか予測がつかないからなんです」

予測社会。その18。

そろそろ、「予測社会」について終わらせたいと思っている。脈絡なくアチコチ行って、それこそ「予想外」に長い旅になってしまった。

「予測内」の反対の言葉が、おそらく「予想外」や「想定外」。

この「予想外」や「想定外」という言葉は、最近、何度も耳にしている。それだけ「予想」というものに囲まれているということだし、「予想」の通りに行かないことが多いということでもある。それをシミジミと実感したのが東日本大震災であり、原発事故だった。あれから3年半が過ぎたけど、社会はより「予測」を手に入れ、確固たる「予測社会」を作り上げる方向に行こうとしている気がする。

作家の玄侑宗久さん著書『<3・11後>忘却に抗して』より。

「分からないことに分からないまま向き合い。曖昧模糊とした現実を暗中模索で進むしかないでしょう。それは福島に限りません。いくら計画を立てて将来が見えるつもりになっていても、先のことは分からないと今回の震災でみんなが痛感したはずです」 (P200)

そして、佐藤優氏の言葉を思い出す。著書『野蛮人の図書館』より。

「答えを出さずに不安な状況に耐えることが大事だと思う。回答を急がない。不安のままぶら下がって、それに耐える力こそが『教養』だと思うんですよ」

やっぱり、教養が必要なのだ。

ジャーナリストの池上彰さん著書『池上彰の教養のススメ』より。

「ルールを守るばかりでなく、ルールを創る側に回る。そのときに必要となるのが教養です。フレームワークや、所与の条件や、ルールそのものを疑ってかかる想像力。教養はそんな力を養ってくれます。すると、あらゆる変化が『想定外』ではなくなります」 (P33)

ここでの「ルール」という言葉を「予測」という言葉に置き換えると分かりやすい。そして、教養こそが「想定外」を克服してくれる。

文化人類学者の上田紀行さん。同じく『池上彰の教養のススメ』より。

「時代はむしろ枠外の自由な『教養』を求め始めています。いくら『できる人=よい道具』となっても、枠が崩れたら、その道具自体が役立たずになってしまうかもしれないのですから」 (P79)

教養とは「考えること」なのだと思う。

それに対して「予測社会」(養老さんの言うところの「都市化した社会」)は、「考えなくてよい社会」でもある。(9月19日のブログ

どうも「教養」を育むはずの教育の現場もベクトルはその方向に向いている。


哲学者の鷲田清一さん東京新聞夕刊(9月9日)より。

「安倍内閣が推進しようとしている『教育改革』は、標準化されたトラックをさらに一元管理し、生徒たちにそこを走らせようとしているのだとおもった」

「こういう生き方もある、こんな価値観もあるというふうに、子どもに生き方の軸となるものの多様さを教師がみずからの背で示す、あるいは過去の人物に託して語る・・・。そういうふうに将来の可能性の幅を拡げるところに教育の意味はある」


「『提言』は逆に、整備された道ならうまく走れるが、不測の事態にうまく対処できずにヘたり込むばかりの、そんな子どもを育てたいかのようである」

「『想定外』の事態にどう対処するかの能力が、生き延びるためにもっとも重要だということを、わたしたちは福島の原発事故で思い知ったはずなのに」


実際の教育現場は、「予測」「ルール」通り生きる人間、考えない人間を求めているのだ。(2013年4月12日のブログ

それは親にも言える。作家の柳田邦男さん著書『シンプルに生きる』から。

「おそらく、若者なり子どもなりが危機的な状況に陥ったときに、親が対応を間違うんだと思います。非常に打算的になったり、あるいは因果関係を先に考えて、役に立つとか、いい結果が出るという予測が立てば行動したり。そうやって理屈で考えるから、ろくな答えがでないんです」 (P43)

もともと教育というものと「予測すること」とは水と油の関係なのかもしれない。

武道家の光岡英稔さんの言葉。著書『荒天の武学』より。

「『世の中は必ずこうなるはずだ』という思い込みと『相手はこう来るはずだ』という想定は相似形で、それらを覆したときにどうするかが個として問われる。この問いに向かうには、固定観念化された価値観では歯がたたない。開いている価値観がそこにはないとどうにもならない」 (P101)

開いている価値観…。まさに多様性であり、教養のこと。

作家の内田樹さんは、「教育」について次のように書いている。著書『日本の文脈』より。

 「人間が自分の限界を超えるような働きをするのは、夢中になっている時だけです。そして、夢中になるのは、自分がしていることがどういう結果をもたらすことになるのか、あらかじめわかっているからではなく、何が起きるか予測がつかないからなんです」

「何が起きるか予測がつかないけど、何かとてつもなくおもしろそうなことが起こりそうだというワクワク感にドライブされて、人間は限界を超えて能力を発揮する」 (P119)

ここで言っている「何が起きるか予測がつかないから、夢中になり、自分の限界を超えていくこと」。これこそが社会の閉塞感に風穴をあけることにつながるのではないか。

それは「予想社会」について書いた最初のブログ(9月18日)で紹介した言葉につながる。 その後「イスラム国」で話題になった宗教学者、中田考さんの言葉。著書『一神教と国家』より。

「なぜなら、知を起動するのは、好奇心であり、未だ想像できないものへの憧憬だからです」 (P251)

この「予想社会」の流れに抗うということは、考え続けるということであり、反知性主義に抗うことでもあるのだ。

それはきっと「生きること」を取り戻すことでもある。そんなことをこの2か月、ずっと考えてきたことになる。

2014年11月 6日 (木)

「過去のデータを参考にするにしても、そこに新たな息吹を吹き込み、自分なりに加工することこそが大事なのである。そのようにして初めて自分自身の糧となるのだ」 

予測社会。その17。

「ビッグデータの最大の特徴は未来予測」と表現していた牧野武文さん。(10月30日のブログ

ビッグデータについてこんな指摘もしている。著書『進撃のビッグデータ』より。

「ビッグデータが普及し、それが正しく活用される未来は、バラ色であるということは押さえておいてください」  (P219)

本当に「バラ色」なのだろうか。そうだといんだけど…。また、この前提となっている「正しく活用」とは、どういうことなのだろうか。

岐阜大学医学部付属病院の長瀬清さんは、ビッグデータについて次のように話している。NHKスペシャル『医療ビッグデータ』(11月2日放送)より。

「こういうデータを解釈するときに大事なポイントがある。医学的には信頼・信用とは言えない。ただ活用もできるし、利用もできる。参考にもできる。これがビッグデータとのお付き合いのコツなんだと思う」

そこで、ビッグデータとの「正しい活用」「お付き合い」の仕方のヒントになる言葉を並べてみたい。

まずは棋士の方々の言葉。八段の木村一基さん『ドキュメント電王戦』より。

「コンピュータを研究のアドバイスをしてくれるパートナーと考えれば、それほど悪くありません」 (P221)

羽生善治さん。同じく『ドキュメント電王戦』より。

「人間はデータを『捨てる』のに対して、コンピュータは『拾う』ことで強くなります。これは、お互い反対方向に向かってトンネルを掘っているようなものですね」 (P46)

「人間の常識の枠組みを超えて、人間の思いつかないような手を打てるのがコンピュータです。人間の盲点や死角はコンピュータが補ってくれるのではないでしょうか」 (P47)

 「コンピュータの戦法は『6対4』の割合で『6』が優勢ならそちらを選びます。ただ、毎回その手がよいのかと言えばそうではない気がします。人間があえて訳のわからない手を打つことで、何かを生み出すことが、ごくまれにあるからです」 (P50)

渡辺明さん著書『勝負心』より。

「過去のデータを参考にするにしても、そこに新たな息吹を吹き込み、自分なりに加工することこそが大事なのである。そのようにして初めて自分自身の糧となるのだ」 (P144)

 作家の保坂和志さん著書『羽生』(文庫版)より。

「コンピュータを敵だと思っても仕方がない。自分自身の一部分を否定などできない。人間は、自身が生み出し、ますます巨大になりつつあるこの感性なき存在と共存していくしかない。将棋がそうであるように、文学も、そして私たちの日常も長い目で見れば間違いなくそうなるだろう」 (P212)

また電王戦を主催するドワンゴ会長の川上量生さん『ドキュメント電王戦』より。

「ビジネスの世界では、確立されたビジネスモデルや勝利の方程式があれば、競争相手が増えて大変です。今振り返ると、そのときに確信が持てない選択肢こそが最も良いものになったと思います」 (P50)

「実際ね、やっぱり『Google的価値観は正しい』とも思っていて。人間は単純なんですよ。人間はやっぱりアルゴリズムで規律できるんだけど、でも僕が思っているのは、いまのIT業界が思っているほど人間は単純ではない。最終的にはアルゴリズムで全部規律できるような単純な存在だとしても、まだそこまで単純ではないっていうところで、『ひと花咲かせられるチャンスがあるんじゃないかな』って」 (P241)

医療について。データの宝庫、遺伝子について豊橋技術科学大学学長の榊佳之さんは、次のように話している。NHKスペシャル『あなたは未来をどこまで知りたいですか~運命の遺伝子~』(7月7日放送)より。

「遺伝子とか、ゲノムとかは、基本設計図。家に例えていうと、その中には壁に傷があったり、柱にちょっと問題があったり、いろんな問題を抱えている。本当は、家より、家の中をどれだけ楽しくするとか、にぎやかにするとか、豊かにするとかが大事。そういったものは、実は遺伝子ではなくて、人生の中のいろんな環境であったり、友達であったり、自分の思いであったり、そういうものだと思う」

「遺伝子は、そういうものを助けてくれる材料かなと思う。遺伝子の情報を、自分の人生を豊かにするために使うのがいい」


2014年11月 5日 (水)

「つまり、ビッグデータが活用されればされるほど、世の中が均質化していくことになり、社会の多様性は失われていく危険があります」

予想社会。その16。

週末に読んでいた本に、イラストレーターの寄藤文平さんの言葉が載っていた。『失われた感覚を求めて』(著・三島邦弘)より。

「電王戦に注目しているんです」

「たぶん負けるんです、棋士は。仮に今回負けなかったとしても近々、コンピュータに負けることは避けられないでしょう。そのとき、棋士は何をモチベーションに将棋の高みを目指すんでしょうね。それが知りたくて注目しているんです」


僕も、そうしたことが知りたくて言葉を転がしている。 「予想社会」が広がる中で、ヒトはどう振る舞うか、どう生きるか。今、それが問われている気がするから。

TBS『情熱大陸』(4月13日放送)。この時の主役というか、テーマは「将棋電王戦」。 第三局で豊島七段に対して、コンピュータが「悪手」を打った時、次のようなナレーションが流れた。

「コンピュータは劣勢になると延命のためだけに行動することがある。いわばその場しのぎだ」

また将棋観戦記者の松本博文さんも、著書『ルポ電王戦』で次のように書いている。

 「形勢が良くないとき、ソフトは決定的な破滅を先延ばしにしようとして、意味のない手を指してしまうことがある。これが『水平線効果』、または『地平線効果』と呼ばれる現象で、よくないことをまだ見えない水平線の先に追いやろうとするのだ」 (P197)

このコンピュータ将棋の習性というか、欠点は興味深い。当然、ビッグデータにも「予測」できない事態はある。

上記の欠点は、まるで太平洋戦争末期に、「希望的観測」を積み重ね「判断」「決断」ができないなか、「敗戦」を先延ばし続けた日本の中枢とそっくりだったりもする。

我々は、ビッグデータから「予測」を導き、それをトレースする「予測社会」に生きる。そのマイナス面についての指摘した言葉を新たに並べておきたい。

牧野武文さん著書『進撃のビッグデータ』より。

「多くの人が自分の性別、年齢、年収、業種などで分類されるプロファイルの平均像に近い生活を送るようになり、考え方もどんどん似通っていくことになります。つまり、ビッグデータが活用されればされるほど、世の中が均質化していくことになり、社会の多様性は失われていく危険があります」 (P172)

「ビッグデータの最大の問題は、世界がデータ至上主義に陥ってしまう不安です」 (P174)

「それがあまりに度を過ぎると、『理由はどうでもいいから、とにかくそうしろ』ということになり、理由を考えずに毎日の業務に向かっていくことになります。しかも、それで売り上げが挙がっていくのですから、誰も疑問を挟まなくなります」 (P175)


思考停止のような状況が生まれる…。


また遺伝子検査が広がるとどうなるか。豊橋技術科学大学学長で、分子生物学者の榊佳之さんの言葉。NHKスペシャル『あなたは未来をどこまで知りたいですか~運命の遺伝子~』(7月7日放送)より。

「人類は多様でなければ、生き物としてタフではない。例えばいろいろ感染症がある。それでも多様だから、タフに残る人がいる。一緒だったら、みんなバタンと倒れて、人類おしまいってことになりかねない」

ビッグデータによる「予測」を全部否定するつもりはない。大いに活用でき、役に立つことも多いのだと思う。

ただ、そのマイナス面に目を向けていなければ、我々はただ「予測」に従うだけの思考停止状態となってしまうのではないか。そんな気がしてしまうのである。

2014年10月31日 (金)

「人間とコンピュータの関わり方がどうあるべきか。これを探っていく、見せていくのが電王戦の意義ではないか」

予想社会。その15。

きのうブログ(10月30日)では、牧野武文さんの次の言葉を載せた。著書『進撃のビッグデータ』より。

「ビッグデータとは『持てるすべてのデータを使い、意外な関係性を発見し、未来予測をする』技術なのです」 (P23)

この技術が目に見える形で展開されているのが、コンピュータ将棋ではないかと個人的には思う。

 

そうしたこともあり、最近は「プロ棋士vsコンピュータ将棋」のせめぎあいに興味を覚え、いろんな文献やテレビ番組を漁っている。

全ての過去の棋譜をデータ化し、最善手を予測するコンピュータ将棋。これに対して、人間であるプロ棋士たちはどう振る舞うのか。

棋士vs将棋ソフトの戦いである「電王戦」を主催するドワンゴ会長の川上量生さんは、先日の記者会見(10月28日)で次のように述べている。

「ミスをしない将棋という意味ではやはりコンピュータは強い。人間とコンピュータの関わり方がどうあるべきか。これを探っていく、見せていくのが電王戦の意義ではないか」

人間とコンピュータの関わり方…。

現在、棋王・王将の渡辺明さん著書『勝負心』で、データとの向き合い方について書いている。

「重要なのは、自分自身がその局面をどう判断するかだ。過去の棋士が勝てなかったとしても、自分なら何とかできるのではないか、と考えてみることだ。データには、単に勝敗が記されているだけである。順当勝ちであったのか、逆転勝ちであったのかは、棋譜を並べてみないとわからない」 P144)

「過去のデータを参考にするにしても、そこに新たな息吹を吹き込み、自分なりに加工することこそが大事なのである。そのようにして初めて自分自身の糧となるのだ」 (P144)


どんな膨大なデータがあっても、結局、最後は「判断」が必要となる。判断は、人間にしかできない。


お天気キャスターの森田正光さんの言葉。著書『「役に立たない」と思う本こそ買え』より。

「人間しかできない仕事がある。それは『判断』だ。コンピュータの予測データをどうのように使うか、本当に使っていいのか、責任を持って判断する。こればかりは人間にしかできない。コンピュータが今後どれだけ発達しても、最後まで『判断』という仕事が人間に残ると思う」 (P58)

牧野武文さん
著書『進撃のビッグデータ』で次のように書く。


「ビッグデータ分析は決して“正解”を教えてくれるわけではありません。“正解である確率”がきわめて高い答えを教えてくれるだけです」 (P177)

「ビッグデータは関連のあるデータをはじき出してくれるだけで、それをどう解釈するかは人間が考えなければならないからです」 (P178)

たぶんではあるが、コンピュータの「予測」と、棋士の「読み」は違うのである。きっと。

渡辺明さん。「読み」について次のように書く。著書『勝負心』より。

「差し手が一手でも進めば、一手前とは全く異なる局面になる。まさに一寸先は闇だ。当然ながら、読み筋も一手ごとに変わってくる。この一手ごとに繰り返される綿密な検討こそ、プロ棋士の『読み』というものである」 (P118)

現在、三冠の羽生善治さんJFN『学問のススメ』(2013年12月3日放送)より。

「何十手先がこういう風になるんじゃないかなって読む。またしばらくたって何十手先をもう一回、読む。そうすると途中の所で穴があったり、自分が考えていなかった手があったりして修正することがある。でも、その何十手先を読んでいくという繰り返しの中で、なんとなくこっちの方向、攻めた方がいいんだなとか、じっとしていた方がいいんだなという方向性がだんだん明確になっていく」

「何十手先を読んでも、ほとんどその通りにはならない。ただ繰り返しているとなんとなく方向性が見えてくる。という感じ」


どんなにデータがあっても、予測通りには進まない、ということ。一度立てた「予測」に頼り切るのではなく、常に「最善手」を考え、更新していく。

また、
羽生さんは『ドキュメント電王戦』では次のように語っている。

「戦の中で、20~30手先を読んだところでその通りになることはまずありません。毎回予想がはずれていますよ。将棋のプロといえども10手先を読み当てるのは相当に難しいことです」

作家の保坂和志さん著書『羽生』(文庫版)より。

「『読む』とはプランのことであって、ほかのあらゆるプランが現実と比べたときに粗雑さが現われるように、『読み』にもやはり粗雑さがある」 (P21)

粗雑さがあるからこそ、「判断」が必要となるのだし、だからこそ「不測の事態」にも対応ができるのではないか。

こんな言葉もあった。将棋の世界について話していることではないが、いろいろ重なっていて興味深い。京都大学総長で動物学者の山極寿一さんJFN『学問のススメ』(9月30日放送)より。

「我々は動物的な身体と、ロボット的な機械的な身体の狭間にいるわけです。機械というのは同じことを無限に繰り返すことができ、疲れない。ただし自分で判断し、考えることができない。不確かなものに対して反応することができない。動物的な身体というのは、大まかに判断をする。正確な情報を必要としない。ただし間違うことがある。しかも疲れる。しかもやりたくなければやらない」

「人間の身体は、まだまだ自然の方に属している。自分でコントロールできない環境をどこかで求めてしまう。今の日本の社会でも、犬や猫をはじめとした生きたペットの動物がたくさんいるというのは、都市の機械的な環境では非常に窮屈な思いをしている人たちがたくさんいることを表している」


さらに次の羽生善治さんの言葉を重なる。社会の同じ風潮について語っている。JFN『学問のススメ』(2013年12月3日放送)より。

「より社会的な制度なり、法律なり、習慣なりが、よりタイトにきっちりかっちりとやっていくという方向性に行っているのは間違いないと思っている。きちんと秩序を守るためには非常に大事なことではあると思うが、あまりやりすぎると息苦しくなる」

「どこかで『適当さ』という言い方が適切かどうか分からないが、そういう遊びというか、動かしている人の裁量の部分がもう少しあった方が暮らしやすいのかなと思う」

棋士たちの言葉や、上記の山極さんの言葉のなかに、「ビッグデータ時代に、ヒトはどう振る舞うべきか?」についてのヒントがあるような気がする。

 


2014年10月30日 (木)

「僕は二十一世紀のテーマは、何かといったら、その『機械、アルゴリズムのロジックに追いやられる人間』というのがテーマになっていくんじゃないかなって思っているんですよ」 

予想社会。その14。
ここ1カ月半ほど、ずっと「予測社会」について、あっちこっち右往左往しながら書いてきた。

「ビッグデータ時代に、人はどう振る舞っていくべきなのか」

大きく言えば、このことに興味を持っている。グールグやPOSシステム、個人情報、さらには遺伝子検査などなど。我々の社会はビッグデータに囲まれて生きることが求められる。

牧野武文さんは、著書『進撃のビッグデータ』で、次のように書く。

「ビッグデータの最大の特徴は、『思いもしなかった関係性を浮かび上がらせてくれる』ことと『未来予測ができる』ことのふたつです」 (P4)

「ビッグデータとは『持てるすべてのデータを使い、意外な関係性を発見し、未来予測をする』技術なのです」 (P23)

集めに集められた膨大なビッグデータによって「未来予測」をする。それに従って我々は生きる。そんな時代なのである。

東京外国語大学の今福龍太さんの言葉を改めて。ビデオニュース・ドットコム(7月19日放送)より。

「そういう予測的な社会は、自分がやった瞬間にデータになる。そのデータになった自分の行動がさらに未来予測の一部に貢献されていくわけ。自分の行動が情報化され、データ化される中でしか生きられない。自分をデータにしないという切断の意思が重要」 (パート2 53分ごろ)

牧野武文さんは次のように書く。著書『進撃のビッグデータ』より。

「それでもあなたはデータを生み出します。電力を使用すれば、今普及が始まりつつあるスマートデータであれば、電力を使用した時間、電力量などがサーバに保存されます。もちろん、ネットを使えば、オンラインでの行動は逐一記録されます」 (P51)

「つまり、私たちはただ生活をし、行動をするだけで、莫大なデータを生み出すようになっているのです」 (P53)

我々がただ日常生活を送るだけでも、ビッグデータとして取り込まれ、データはさらに膨らんでいき、「未来予測」で社会は埋められていく。

ドワンゴ会長の川上量生氏は、著作『ドキュメント電王戦』の中におさめられたインタビューで次のように語っている。

「僕は二十一世紀のテーマは、何かといったら、その『機械、アルゴリズムのロジックに追いやられる人間』というのがテーマになっていくんじゃないかなって思っているんですよ」 (P237)

「Googleってなんなのかって思ったら、Googleのポリシーのひとつでよく言われているのに、『機械ができることは機械にやらせよう』っていうのがあるんですよ。それで、できる限り人間がやっていることを機械化して、人間は何もやらないで済む世界を作るっていう。 それって実は凄く恐ろしいことじゃないかと。Googleが目指そうとする楽園の向こうに、人間の住む場所はあるのか?」 (P239)

まさに、人間の住む場所はあるのだろうか…。そう思う。

先の牧野武文さんはビッグデータについて次のようにも書く。著書『進撃のビッグデータ』より。

「あまりに度を過ぎると、『理由はどうでもいいから、とにかくそうしろ』ということになり、理由を考えずに毎日の業務に向かっていくことになります。しかも、それで売り上げが挙がっていくのですから、誰も疑問を挟まなくなります」 (P175)

「日常の仕事がすべてこうような『ビッグデータの指示』に従って行われるようになれば、現場の従業員は『僕ではなくて、ロボットでもいいのではないか?』と思うようになるでしょう」 (P176)

川上量生さんが挙げている次の例も興味深い。著作『ドキュメント電王戦』より。

「オバマ大統領とかって、今回の政治で『データマイング』っていう、要するにデータを駆使した選挙戦というのをやっていて、アメリカの州ごとに政策を変えているんですよ。それってアルゴリズムが政策をきめているわけで、じつはオバマ大統領が決めているわけじゃないですよね」 (P240)

「その場合の集合知って、要するに自律して勝手に計算結果が出てくる数値なんだから、もはや人間の意思はほとんど入っていないわけですよ。そうするともう世の中は人間が支配していなんですよね。実質アルゴリズムが支配しているんですよ」 (P240)

まさに「ビッグデータ時代に、ヒトはどう振る舞うか?」が問われているのだと思う。

次回も続けたい。

 

2014年10月23日 (木)

「上九一色にはオウムはない。みごとにない。まるで揮発してしまったかのように、きれいさっぱり消滅している。削除されている」

前回のブログ(10月17日)に続いて「過去や歴史を葬り去る日本社会」について。

今週のNHK『クローズアップ現代』(10月20日放送)「公文書は誰のものか」という特集をやっていた。その番組での言葉をメモ代わりに載せておきたい。

公文書の保存の意義について。歴史学者の加藤陽子さん

「国民の信託を受けて国がさまざまな活動をやっている。その活動の記録がそもそも残されていたなかったら、国民は生きた証がなくなるわけです」

「今までそれが出来なかったということで、国家的な損失は大きかったのではないか」


学習院大学教授の保坂裕興さん

「基本的な材料の公文書が失われてしまうことになって、過去に起こったことが検証できなくなるということが起こってしまう」

東京大学教授で政治学者、牧原出さん

「日本の場合には『沈黙は金』『しゃべらない』『残さない』という組織文化があって、公文書を残しにくい。行政官というのは、自分でやってきたことは全体の部分であって、部分だから重要でないということで、残そうとしない傾向がある」

「過去に省庁が公文書を保存していた場合も、あくまでも行政の執務のためであって、国民のためという意識が薄い」

「日本がどうして決めたのかは、世界にとっても意味があるし、そして何としても次世代に対する説明責任ではないかと思う。だからこそ残す責務が私たちにはある」


ちなみに、フランス公文書管理の予算60億円という。日本の予算は、その1/3に過ぎない。

公文書についてではないけど、先ほど読み終わった本から、歴史を消去する事例をひとつ。

作家の森達也さん著書『A3』(文庫版下巻)より。オウム真理教の本拠地・上九一色村のサティアン跡を訪れての言葉。

「戦後最大で最凶の事件。当時の新聞や雑誌の見出しには、このフレーズが何度も踊っていた。仮に日本社会にとって悪夢の記憶なら、なおのことそれを抹消すべきではない」 (P247)

「上九一色にはオウムはない。みごとにない。まるで揮発してしまったかのように、きれいさっぱり消滅している。削除されている」 P248)

「こうして上書きと更新をくりかえし、最終的に残されたのは一面の草原だ。確かにサティアン群の痕跡はどこにもない。でも不自然な消滅は逆に不安を煽る。欠落した何かを想起させる」 (P250)


そういえば、巣鴨プリズンもない。陸軍参謀本部があった市ヶ谷の建物も取り壊された。海軍軍令部のあった霞が関の建物もない。

東日本大震災の遺構も、3年しかたっていないのに、次々と消えていく。

こうやって我々の目の前から「歴史」がどんどん姿を消し、何もなかったように新しい建物に取り換えられていく。

前回(10月17日)のブログでは、「歴史や過去を大切にしないと、いつのまにか歴史そのものを誰が書き換えてしまう」という話で終わった。

さきほど戦史研究家の山崎雅弘さんツイッター(10月15日)に、こんな指摘があった。

「自説に都合のいい歴史的事実だけに目を向け、不都合な歴史的事実は一切無視して、歴史解釈を歪める人間を『歴史修正主義者』と呼ぶが、その思考は麻薬的な魅力を持つ。過去の不都合な歴史的事実を『無かったこと』にする『全能感』を繰り返し味わうと、やがて現実も同様に操作できるという錯覚に陥る」



2014年10月17日 (金)

「歴史を忘れた国は問題を起こします」

「予測社会」その12。ちょっと番外編な感じだけど。

今週火曜日(10月14日)、特定秘密保護法の運用基準と施行期日を定めた施行令が閣議決定された。

東京新聞(10月15日)には、次の一文があった。

「秘密指定の期間は原則三十年だが、一度指定されれば、政府の判断で永久に指定され続ける懸念もそのまま残った」

日本弁護士連盟会会長声明(10月14日)にも、次のように書かれている。

「特定秘密を最終的に公開するための確実な法制度がなく、多くの特定秘密が市民の目に触れることなく廃棄されることとなる可能性がある」

このままでは歴史事実が「特定秘密」のまま、永久に闇に葬られる可能性がある、ということ。

未来を予測で埋める「予測社会」。 

この裏には、過去や敗戦を反省検証しない「永続敗戦」があると前々回のブログ(10月9日) で書いた。

池上彰さんの言葉を改めて。毎日新聞(2013年1月1日)より。(2013年1月8日のブログ

「未来を見るためには、まず、過去を見よ。人間は、いつの時代も、同じような行動をとり、成功したり、失敗したりしています。すこし前の歴史を見ると、現代とそっくりではないかと思えるようなことがたくさんあります」

内田樹さんの「未来は現在の延長ではない」という言葉を用いていたが、反対に「少し前の歴史と現代とはそっくり」ということになる。

だから「未来予測」なんかよりも、過去や歴史を見つめることが大事になるのではないか。

こで今回も、過去や歴史についての言葉を改めて並べたい。(「歴史から学ぶ」

NHKディレクターの高木徹さん著書『国際メディア情報戦』より。

「重要文書を都合が悪くなると焼いてしまう。それは欧米諸国と比較すると顕著な日本の特徴だ」 (P3)

「アメリカでは、過去の公文書は納税者である国民のものであり、基本的には公開されるべきで、それが民主主義の根本原則だという考えが浸透している。公文書館のスタッフも自らの仕事を、民主主義を支え国民に資するものとして誇りを持っている」 (P4)

作家の保阪正康さん著書『「昭和」を点検する』より。

「日本の戦争に関する資料はほとんど残っていない。軍事裁判での戦争責任の追及を恐れたんでしょうが、次の時代に資料を残して、判断を仰ぐという国家としての姿勢がまったくなく、燃やせということを平気でやる」 (P178)

「私は基本的には政治・軍事の当事者が、自分の時代しか見ていなかったのだと思います。それは歴史に対する責任の欠如ではないか」 (P179)

作家の半藤一利さん。同じく著書『「昭和」を点検する』より。

「国家には『資料の整理保存、それはおまえの仕事だろう』と言いたいですね」 (P180)

「証拠隠滅は歴史への冒涜です」 (P182)

日本という国は、歴史を消去することを繰り返してきた。

緒方貞子さんの言葉。朝日新聞(9月17日)より。

「歴史を忘れた国は問題を起こします」

きっと、この言葉は忘れてはならない。

そして作家の葉室鱗さん。今、映画が公開されている小説『蜩ノ記』。この中で、家譜という藩の歴史書を編む主人公の戸田秋谷は次のセリフを口にする。

「家譜が作られるとは、そういうことでござる。都合好きことも悪しきことも遺され、子子孫孫に伝えられてこそ、指針となる」 (P40)

「だが、先の世では仕組みも変わるかもしれぬ。だからこそ、かように昔の事績を記しておかねばならぬ。何が正しくて何が間違っておったかを、後世の目で確かめるためにな (P46)

「御家の真を伝えてこそ、忠であるとそれがしは存じており申す。偽りで固めれば、家臣、領民の心が離れて御家はつぶれるでありましょう。嘘偽りのない家譜を書き残すことができれば、御家は必ず守られると存ずる」 (P310)

ここで出てくる「指針」という言葉。個人的には、この「指針」こそが「予測」よりも大事なのではないかと思っている。

未知なる「未来」を不安がり、それを予測で埋めて「確実な未来」を手に入れることに躍起になるよりも、歴史を見つめ過去から学び、「指針」を得る。その「指針」を支えに、「不確実な未来」を歩んでいく。こんな感じだ。

でも実際の社会には、「予測」があふれ返る。みんな過去や歴史を振り返らない。いつの間にか、誰かが過去や歴史を「美しく書き換え」ても気づかない。そんなジョージ・オーエル『1984』のような世界がやってこないことを祈る。


2014年10月16日 (木)

「私たちはそうした“不愉快な出来事”に耐えつつ、少しずつ制度を変えていくことで、目の前の小さな悲劇や不正義を解決していくしかありません」

「予想社会」その11。きのうの文章への追加。

きのうのブログ(10月15日)の最後に、分子生物学者の福岡伸一さんの言葉を紹介した。今日、作家の橘玲さん書『不愉快なことには理由がある』を読んでいたら、重なる言葉が載っていたので紹介しておきたい。

「私たちはそうした“不愉快な出来事”に耐えつつ、少しずつ制度を変えていくことで、目の前の小さな悲劇や不正義を解決していくしかありません」 (P237)

予測社会以外にも当てはまる言葉だが、「未来」という予測不能なものに対する心得として覚えておいた方がいいと思う。未来に不安ばかり感じでも何も始まらない。

もうひとつ。棋士の羽生善治さんの次の言葉も紹介したい。JFM『学問のススメ』(2013年12月3日放送)より。

「迷う場面が増えている。選択肢がたくさんあるので後悔しやすい。例えばお昼ご飯を食べにいって、定食屋さんのメニューが3つしかない場合、その中から1つ選ぶ場合は、何を選んでも後悔しない。選択肢が50個あったら、自分が何を選んでも、自分が食べた定食が美味しくても隣の人のが良かったとか、涼が多かったとかと思ってしまう」

「どんなにたくさん知識や情報や経験を得ても選べるのは1個だけ。後悔しやすい時代に入っている。常に選択肢だけはたくさんあって、選べるのは1個というもどかしい状態が続いている」

「自分の好みとかやりたいこととか方針とか方向性とかがあるので、大部分の選択肢はやらなくてよい。でも、どうしても自分が選ばなかった過去に対しては非常に楽観的になって、まだ来ていない先のことに対しては悲観的になるというところがある」


過去には楽観的になって顧みることをせずに、未来には悲観的になる…。

今の時代は選択肢が多すぎるからこそ、「予測」を求め、それに頼ってしまうのかもしれない。

最後にもうひとつ羽生さんの言葉を。同じ番組から。

「想定していない場面のときに、そこでうまく向かっていけるかどうか。もちろん、不安とか心配とか恐れとか当然ある。それもあってプラスアルファ楽しいこともある。そういう入り混じった気持ちの中でやってければいいと思う」

 

 

 

2014年10月15日 (水)

「そしてこの役に立たない設計図から生じるリスクが、日本人の行動を規定しています。皮肉なことに、私たちはリスクを避けようとして、そのことで逆にリスクを極大化させ、それが不安の源泉になっているのです」

「予測社会」その10

以前、「目の前」というものについて考えた。(「目の前」

先日、政治学者の岡田憲治さんとコラムニストの小田嶋隆さん共著『「踊り場」日本論』を読んでいたら、スポーツについての、岡田憲治さんのこんな言葉が印象的だった。

「あれこれ言いましたけど、僕がスポーツを愛するのはね、基本は目の前で起こってることをきちんとつかまえて、その瞬間だけは自分の国籍だとか民族だとか、贔屓だとか応援だとかを超えて、その地平の向こう側にあるものにふれた喜びみたいなものをちゃんと表現して、共有することなんですよ」 (P242)

とてもいい言葉…。

この「目の前」と、「予測社会」に関連する言葉を。
ドキュメンタリー監督の想田和弘さんの言葉。著書『熱狂なきファシズム』より。


「目の前の生きた現実は、予測がつかない方向に展開していく。それをとらえていくという意味では、野球の打者に似ている。打者は、投手が投げる球を予測しすぎても、全く予測しなくても、バットでうまくとらえられない。予想しながらも、予想外の球に対して身体を開いておかなければならない。そこで結局一番肝心なのは、『球をよく観る』ことである。撮影でも、全く同じことがいえる。被写体やその周りをよく観て、カメラを回す」 (P142)

この指摘は、我々の「予測」というものとの付き合い方を言い当ててるかもしれない。

でも我々には、「目の前」で起きることよりも、頭の中で考えた「予測」を優先させる傾向がある。その傾向について、想田さんは「台本至上主義」という言葉を使って説明する。

「ドキュメンタリー作りは、どこへ行くのか分からないのが面白いのであり、それを前もって分かろうとした瞬間、魅力は失われてしまう」

「そしてそれはたぶん多かれ少なかれ、実はあらゆる分野でいえることなのではないか。例えば、『先に有罪ありき』の司法制度、『先に点数ありき』の教育制度、『先にコスト削減ありき』の医療・福祉制度改革などは、予め決められた到着点にこだわるあまり、営みそのものの本義を見失ってしまった現象の典型であろう。目に見える成果を出そうともがけばもがくほど、成果からむしろ遠ざかってしまう」 
(P132)


どこへ行くのか分からないから面白い・・・。

これについては人生だって、一緒。(5月16日のブログ

当然、この「台本至上主義」や「予測社会」というのは原発政策にも及んでいる。


「台本至上主義は、ドキュメンタリー界だけではなく、人間界全般を広く浸蝕しています。例えば日本政府や産業界は『原発は絶対に安全だ』という台本を採用し、狭い地震国に50基以上の原発を建ててきたわけです。その台本の正しさを主張するために、都合の良いデータや学者ばかりを集めて、逆に都合の悪い現実はすべて無視してきたわけでしょう。だから知らない間に台本と現実が物凄く乖離してしまったわけです」 (P106)

「思えば、原発事故そのものも、『原発は絶対に安全である』という結論先にありきの台本を優先し、それに合うデータや専門家の意見ばかりを都合よく集め、現実を虚心坦懐に観ることを怠ってきたがために、起きつつある惨劇だといえよう」 (P162)

まさに「原発神話」の台本は、「目の前」を見つめて書かれたものではなく、頭の中で組み立てた「希望的観測」に基づいて書かれた、ということでもある。

この「神話」というものこそ、実は希望的観測という「未来予測」なのではないか。

作家の橘玲さんは、戦後日本を支えてきた「神話」として、不動産神話、会社神話、円神話、国家神話を挙げる。そして著書『大震災の後で人生について語るということ』で次のように書く。

「私たちは、いまだに“神話なき時代”の人生設計を見つけることができず、朽ちかけて染みだらけの設計図にしがみついています。そしてこの役に立たない設計図から生じるリスクが、日本人の行動を規定しています。皮肉なことに、私たちはリスクを避けようとして、そのことで逆にリスクを極大化させ、それが不安の源泉になっているのです」 (P5)

それでも「設計図」を探す私たち…。

社会学者の宮台真司さんビデオニュース・ドットコム(7月19日放送)より。


「世界というのは自分たちと思っているものと違うはずだ。人間はどうせ小さいし、浅ましい存在である。そういう世界に対する敬意がないから、僕たちが想定している枠の中で、社会が収まってくれることを幸福とか、達成とか勘違いするのでは」

スポーツも、原発も、そして人生も、「目の前」で起きていることに敬意を払い、虚心坦懐に見つめる。そして「未来」に向けて、「目の前」のものを少しずつ改良していくしかないのではないか。

何度か印象しているが、今回も分子生物学者の福岡伸一さんの言葉を改めて。著書『動的平衡ダイアローグ』から。

「生物も個人も、先を見通すことはできない。できるのはせいぜい、いまあるものを利用したり、改良したりすること。そうして生き延びてゆくことなんです」 P159)




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