「国会正面前の道路はさっきから広場になりました」
前回のブログ(8月26日)の続き。
その最後に政治学者の白井聡さんの次の言葉を紹介した。NHKラジオ『いとうせいこうトーキングセッション』(8月14日放送)より。
「どう生きるべきかという話はそんなに難しいことではない。これは不愉快だな、これはおかしいな、これには乗れないな、と言うものに対しては、『嫌だ』と言い続けるしかない」
そして昨日、国会前をはじめ、全国各地で安保法制反対の声が挙がった。「嫌だ」と口に出し、行動に移した人たちが集まっていた。
先週木曜の朝日新聞(8月27日)の『論壇時評』での、作家の高橋源一郎さんの言葉とも重なる。
「『政治』や『社会』について違和を感じたなら、誰でも疑問の声をあげ、行動してもいいのだ。そんな当たり前のことが、いま起こりつつある」
また政治学者の小熊英二さんは、きのう現場で感じたことを2つ挙げ、そのうちの1つについて次のようにコメントしている。今日の東京新聞(8月31日)より。
「国会前と言う空間が、抗議の場として定着したことだ。福島の原発事故後に起きた2012年の官邸前抗議からの運動の成果だろう」
「不当と感じることに声を上げる政治文化が浸透したのは、よい変化だ」
高橋源一郎さんも、国会前で次のようなツイートをしている。自身のツイッター(8月30日)より。
「国会議事堂前にいます。人が多すぎて身動きできない。国会正面前の道路はさっきから広場になりました」
“広場”ができた、のである。
さらに次のようにも語っている。BS-TBS『週刊報道LIFE』(8月30日放送)より。
「日本は欧米と違って人が集まってなにか言う広場がない。でも今日はこうして人が集まった。SEALDsは広場をつくってくれた」
国会前にできた“広場”に大勢の人が集まり、そして「嫌だ」と声を上げたのである。
僕自身は昨日、別件がありその“広場”には行けなかった。参加できなかったことが本当に悔しい。でも、そういう口惜しさを実感することもきっと大切。次こそは必ず、自分も「広場」に参加したいと思う。