★嫌な感じと違和感

2015年8月31日 (月)

「国会正面前の道路はさっきから広場になりました」

前回のブログ(8月26日)の続き。

その最後に政治学者の白井聡さんの次の言葉を紹介した。NHKラジオ『いとうせいこうトーキングセッション』(8月14日放送)より。

「どう生きるべきかという話はそんなに難しいことではない。これは不愉快だな、これはおかしいな、これには乗れないな、と言うものに対しては、『嫌だ』と言い続けるしかない」

そして昨日、国会前をはじめ、全国各地で安保法制反対の声が挙がった。「嫌だ」と口に出し、行動に移した人たちが集まっていた。

先週木曜の朝日新聞(8月27日)の『論壇時評』での、作家の高橋源一郎さんの言葉とも重なる。

「『政治』や『社会』について違和を感じたなら、誰でも疑問の声をあげ、行動してもいいのだ。そんな当たり前のことが、いま起こりつつある」

また政治学者の小熊英二さんは、きのう現場で感じたことを2つ挙げ、そのうちの1つについて次のようにコメントしている。今日の東京新聞(8月31日)より。

「国会前と言う空間が、抗議の場として定着したことだ。福島の原発事故後に起きた2012年の官邸前抗議からの運動の成果だろう」

「不当と感じることに声を上げる政治文化が浸透したのは、よい変化だ」


高橋源一郎さんも、国会前で次のようなツイートをしている。自身のツイッター(8月30日)より。

「国会議事堂前にいます。人が多すぎて身動きできない。国会正面前の道路はさっきから広場になりました」

“広場”ができた、のである。

さらに次のようにも語っている。BS-TBS『週刊報道LIFE』(8月30日放送)より。

「日本は欧米と違って人が集まってなにか言う広場がない。でも今日はこうして人が集まった。SEALDsは広場をつくってくれた」

国会前にできた“広場”に大勢の人が集まり、そして「嫌だ」と声を上げたのである。

僕自身は昨日、別件がありその“広場”には行けなかった。参加できなかったことが本当に悔しい。でも、そういう口惜しさを実感することもきっと大切。次こそは必ず、自分も「広場」に参加したいと思う。


2014年12月18日 (木)

「日々放送されるニュースに対して違和感を抱いたら立ち止まって、その原因や背景を見抜くことが大切だ」

きのうのブログ(12月17日)の続き。「いやな感じ」について。

産経新聞(12月16日)で政界を引退した石原慎太郎氏のインタビューを読んだ。いくつか抜粋したい。

大阪市長の橋下徹氏については、次のようにコメント。


「彼は天才ですね」

「あんなに演説のうまい人をみたことない。言葉の調子は違うが、田中角栄だね。若いときの。それから例が良くないかもしれないけど、彼の演説のうまさ、迫力というのは若いときのヒトラーですよ。ヒトラーは後にバカなことをしたが」

「橋下徹ってのは彼に該当する政治家だ。惜しいことをしたなあ。彼は必ずもう一回でてくるだろう。再登場すると思う。させなきゃいかんですよ」


そして、中国については、例えば次のようなコメント。

「ある週刊誌のインタビューで『一番したいこと』を聞かれたので『シナと戦争して勝つこと』と。私は日本人として言った」

他の人はどんな気持ちで、この言葉を受け止めるのだろうか。

何というか、少なくとも僕はこのインタビューを読んでいると、まさに「いやな感じ」が次々と浮かんできた。

もちろん、個々の考え方は自由である。でも「公人」である人物が公の場で語る言葉としてはどうかと思う。こんな人がよく東京都知事を何期もやったり、国務大臣を務めたりしたと正直思う。

まさに「いやな感じ」なのである。

この「いやな感じ」を言い換えると、「違和感」。

今日は、「違和感」について触れている言葉をランダムに並べておきたい。

元日本テレビ記者の水島宏明さん著書『内側から見たテレビ』より。

「それを見逃さないようにするには、日々放送されるニュースに対して違和感を抱いたら立ち止まって、その原因や背景を見抜くことが大切だ」 (P59)

糸井重里さんの言葉。『ぼくの好きなコロッケ。』より。

「答えまでたどりつかなくても、考えを進化させるための『糸口』が見えてくる。『糸口』は、違和感と言ってもいいかもしれない」 (P278)

精神科医の斎藤環さんの言葉。著書『世界が土曜の夜の夢なら』より。

「『若さ』はしばしば『違和感』への過敏さでもある」 (P9)

こちらも精神科医の名越康文さん著書『本当の仕事の作法』より。

「仕事とは違和感を埋める作業なんだ」 (P22)

でも「いやな感じ」や「違和感」もほっておいては摩耗してしまう。

作家の森達也さん著書『たったひとつの「真実」なんてない』より。

「最初は『何か変だな』と思っていた人も、それを当たり前だとする人たちがどんどん増えるので、その思いを口にしづらくなる。やがてはその人自身も、何度もメディアから同じ情報を見たり聞いたりしているうちに、その『変だな』という意識がどんどん薄くなってしまう」 (P165)

そして次の平野啓一郎さんの指摘も「いやな感じ」と「違和感」につながる。
サイト『ポリタス』(12月14日配信)より。

「予兆に気づくことは難しい。しかも、予兆とは、現に事態が生じた時にしか、それが予兆であったと証明されないものであるだけに、辛うじて気づいた者たちは、必ず嘲笑を浴びることとなっている。これは、必定である」

予兆。という言葉も興味深い。予測ではなく、予兆である。この2つの違いについては改めて、後日、考えてみたい。

その予兆を知るきっかけこそ「いやな感じ」「違和感」なんだと思う。まさに「糸口」。

更に平野さんは次のように書く。

「しかし今は、その予兆に気づいている人たちも決して少なくはない。それは、先の大戦を知る人たちであり、また外国人たちである。彼らは『日本がおかしくなっている』と感じている。それは、過去の経験の故であり、また日本との距離の故である。そして、その違和感は、私たち自身の『おかしい』という実感とも合致している」

よく「社会を元気にするは“若者、バカ者、よそ者”である」という指摘がある(朝日新聞2008年3月31日)。まさに上記の斎藤環さんも指摘するように、「違和感に過敏に反応する人」たちである。

予兆に気付くためにも、社会には多様な人びとが必要ということでもある。

最後に、先日亡くなった俳優の菅原文太さんの言葉も。東京新聞夕刊(12月4日)より。

「社会におかしいことがあれば、純粋に怒れ。それが正義だ」

2014年12月17日 (水)

「パロディや関節はずしのようなエレガントな対処法によって、この問題への一人一人の理解の裾野を広げてゆくことも重要だ」

一昨日のブログ(12月15日) の続きで、何となく最近気になった言葉を並べてみます。

作家の辺見庸さん神奈川新聞(12月14日)より。

「政権に対する恐怖心がない。僕は怖い。はっきり言って今のやり方は怖いんだ」

「でも、自分の生活圏から数ミリでも足を延ばし、行動する以外にない。今は普段と違う状況だ。こっちも普段と違う目つき、身ぶりで、怒り、いら立ちを自分で表現する。たとえマイノリティーになっても、臆せずものを言う。やれると思うんだ」


作家の平野啓一郎さんサイト『ポリタス』(12月14日配信)より。

「社会の監視体制は一層強化されるだろう。政権に批判的なメディアへの、開き直った露骨な干渉は、既に始まっている。2010年には世界で11位だった『世界報道自由度ランキング』は、今や59位にまで低下している」

元経済産業官僚の古賀茂明さんサイト『ポリタス』(12月14日配信)より。自民党による公正中立報道要請について。

「日本は、報道機関の機能停止による独裁国家へ至る道に入っているとみていた。その段階を、ホップ、ステップ、ジャンプの三段跳びに例えれば、現状は、概ねステップの段階にあるのではないかと見ていたが、今回、あらためて、それが正しかったと感じた」


作家の岡田斗司夫さん雑誌「中央公論」(10月号)より。

「今は、主流のもの、大きいものを悪く言うことが許されない空気になってきている。みんなで応援しているものを悪く言う奴は敵なんじゃないかという空気です」 (P127)

言ってみれば、私たち一人ひとりも、大きな力の「アンダーコントロール」に置かれようとしている、ということなのかもしれない。

そんな中、我々はどうしたらいいのか。それについては昨日のブログで言葉を紹介した。


次の言葉も。内田樹さん著書『ためらいの倫理学』より。

「上から抑えつけて来るあらゆる『力』(自分の意志を疎んじる力)に対して、どうしようもない『腹立ち』や『いやな感じ』を覚えるのは、『自分』を意識した生きる意志の、自分の思い通りに生きたいという<自由への願望>の心的な感情の現われであり、<意志>をもった人間なら誰でも感じる心の動きだろう」

この「いやな感じ」という言葉。この気持ちを自分の中で大切に育んでいくしかないのではと思う。

「いやな感じ」については、以前、このブログでまとめたことがある。(6月28日のブログ

その中から、改めて東京大学教授で憲法学者の石川健治さんの言葉をひとつだけ。朝日新聞(6月28日)より。

 

「いまや〈個〉を否定された上で、密接な国を含む〈全体〉のために援用されようとしているところに、『いやな感じ』がある」

 

いやな感じ。これを大切にして、自分なりのやり方で「抗う」。

でも次の言葉も覚えておきたい。文化人類学者の今福龍太さん毎日新聞(10月31日)より。

 

「差別的現実に硬化し、権力による監視や懲罰という対抗にうって出ることは、かえって社会の柔軟な自浄作用を阻害する。むしろ、パロディや関節はずしのようなエレガントな対処法によって、この問題への一人一人の理解の裾野を広げてゆくことも重要だ」

 

この言葉は、サッカー界での差別的行為に関して組織やチームとしての対応策として語られたもの。

「パロディ」や「間接はずし」などによって理解の裾野を広げていく方法。これも大切な抗い方なんだと思う。



2014年12月15日 (月)

「私たちはそうした“不愉快な出来事”に耐えつつ、少しずつ制度を変えていくことで、目の前の小さな悲劇や不正義を解決していくしかありません」

選挙が終わった。その翌日。

最近は選挙のたびに、疎外感が大きくなる。自分の考えや価値観は、一般的には独りよがりなもので、「変」なんだろう。きっと自分は「変人」なんだ。だんだん、そんな気がしてメゲそうになる。

自分を鼓舞し、確認する意味で、メモ帖で目についた言葉を並べておきたい。

作家の橘玲さん著書『不愉快なことには理由がある』より。

「私たちはそうした“不愉快な出来事”に耐えつつ、少しずつ制度を変えていくことで、目の前の小さな悲劇や不正義を解決していくしかありません」 (P237)

作家の辺見庸さん著書『抵抗論』(文庫版)より。

「この壮大な反動に見合う、自分独自の抵抗のありようを思い描かなくてはならない」 (P29)

作家の中康夫さんTBSラジオ『プラス』(11月29日放送)より。

「怯まず。屈せず。逃げず」

文化人類学者の今福龍太さんビデオニュース・ドットコム(7月19日放送)さん。

「抗うことも大事。しかし抗うという構図しか持たないとやっぱり崩される。その抗わなければいけないリアリティから切断する部分も持たないといけない。それは我々の社会生活のある部分を自ら切り捨すてていく、ボイコットしていくことにつながっていく。社会人としての自分自身の存在を相当リスクに落とし込むことになる。ひとつの抗い同時に、ボイコットも日常的に組み込んでいなかないとダメかもしれない」 (パート2 27分ごろ)

そして、漫画家のヤマザキマリさん著書『男性論』より。

「『変人』は面白い。しかしながらいま現在の日本で、『変人』は生きにくいのかもしれません」 (P122)

「『変人』だっていいんです。そのひとが何ごとかを成し遂げたとき、世間は驚き、『変人』のレッテルを『天才』に変えます。逆にいえば、偏狭で画一的な価値観を押し広げられるのは、そうした勇気をもった『変人』だけです。寛容な世界の実現のためにも、わたしは『変人』を応援したい」 (P161)



 

2014年6月28日 (土)

「生命は尊貴である。一人の生命は、全地球よりも重い」

今朝の朝日新聞(6月28日)の東京大学教授で憲法学者の石川健治さんの寄稿記事を興味深く読む。タイトルは『「いやな感じ」の正体』

まず、作家・高見順の長編小説『いやな感じ』を取り上げる。主人公の「俺」は、「時代の閉塞感にいらだつ反インテリの労働者」。その「俺」が戦争に巻き込まれていく物語、とのこと。

「そこに至る節目節目で、『俺』が生理的に示した反応が、『いやな感じ』である。作家の生活実感において、敗戦は、この『いやな感じ』からの解放であった」

つまり、この小説の表題ともなっている「いやな感じ」とは、生活実感からの生理的な反応。ここでは、この「生活実感」という足場が重要なんだと思う。

また、この「いやな感じ」という言葉で思い出す指摘がある。思想家の内田樹さんの指摘。こちらはアルベール・カミュの『反抗的人間』について。MBSラジオ『辺境ラジオ』(2013年12月29日放送)より。(1月22日のブログ

「カミュが言っている『反抗』とは何か。これは『反抗』ではない。元の言葉は、どっちかというと『嫌な感じ』『ちょっとムッとする』『ちょっと気持ち悪い』ということ」

「ある限度や節度を越えたときに『嫌な感じ』が自分はする。その『嫌な感じ』をベースにして哲学体系、倫理を構築しようとした。普通は、価値あるもの、信義であったり、善であったりするものを確固たる基盤にして、哲学や倫理の基盤を構築するわけだけど。自分の中で発生する『それ我慢できない』『むかつき』とか、身体的に生物としておかしいのではないかという感覚が彼にはある」


ともに、「いやな感じ」について。

石川健治さんは、この「いやな感じ」をもとにして、今回の寄稿文を書いている。

「現在の日本の政治家の姿。それがかもし出す、なんとも『いやな感じ』」

「この『いやな感じ』の源泉は複合的であるが、そこに〈個の否定〉と〈他者の不在〉が含まれているのは、間違いない」


「いまや〈個〉を否定された上で、密接な国を含む〈全体〉のために援用されようとしているところに、『いやな感じ』がある」


石川さんは、戦争当時に高見順が抱いた「いやな感じ」を封じ込めるのに大きな成功したのが、日本国憲法の最大の貢献であるとする。

特に、「すべて国民は、個人として尊重される」とする憲法13条。

 
「憲法13条の初志は、もう二度と、〈個〉の生を〈全体〉に吸い上げるような国家にはしない、というところにあったはずである」

「『国民』の支持を盾にとって〈個の否定〉と〈他者の不在〉を地で行った、ヒトラー、ムソリーニ、スターリンら独裁者の実例に接するに至り、内なる〈他者〉をおく権力分立制の良さが、見直されるようになった。日本国憲法の採用する立憲デモクラシーは、この立場にたつ。この経緯は現在でも重要である」
 

しかし、自民党の改憲案は…である。

「〈個〉としての国民が、この政治社会において内なる〈他者〉として生きることを許容するために、国家の側が自分自身をしばることによって成立している。これが立憲主義の標準装備であることの意味を、自民党改憲草案は軽んじているのである」 

でも我々が出来る事は、生活実感の中で抱く「いやな感じ」、自分の「目の前」と向き合う中で抱いた「いやな感じ」を表明していくことしかないのだろう。(2013年10月9日のブログ 

きのうのブログ(6月27日) で書いた都議会の「やじ発言」。

この対応でも「個」より「全体」を優先しようとする動きしか見ることができない。政治家は率先して「全体」のために動いているようだ。まさに、いやな感じ。 

やはり。
最後は、石川健治さんが紹介していた次の言葉を載せておきたい。昭和23年3月12日大法廷の判決より。

「生命は尊貴である。一人の生命は、全地球よりも重い」



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