「スローガン政治が成立するのは、国民の意思と記憶は継続しないと権力側が思い込んでいる証拠。この点は私たちの側にも課題がある」
新年、おめでとうございます。
久々の更新。気がつけば、年も改まり、2016年に。
その新年の安倍総理の年頭の記者会見(1月4日)。きのう、その言葉を改めて読む。いくつかの新聞にも書いてあったが、この会見で、安倍総理は「挑戦」という言葉を24回使っている。
いくつかピックアップしてみる。
「私たちはその先をしっかりと見据えながら、本年、新しい国造りへの新しい挑戦を始める、そんな年にしたいと思います」
「本日から始まる通常国会はまさに未来へ挑戦する国会であります。内政においても外交においても本年は挑戦、挑戦、そして挑戦あるのみ。未来へと果敢に挑戦する1年とする、その決意であります」
「私も日本の将来をしっかりと見据えながら、木を植える政治家でありたい。それがいかに時間がかかり、いかに困難な挑戦であったとしても、1億総活躍の苗木を植える挑戦をスタートしたいと思います」
「この安定した政治基盤の上に、1億総活躍への挑戦をはじめ、内政、外交の課題に決して逃げることなく、真っ正面から挑戦し続けていきたいと考えています」
「挑戦しない限り何事も成し遂げることはできないわけでありまして、挑戦するのはできるだけ早く挑戦しなければ手遅れになるわけでありまして、ですから、この国会からこの挑戦を、私たちは始めたいと考えております。そして、そのための1億総活躍社会、そういう社会を作っていきたいと思っています」
などなど。まさに挑戦、挑戦、挑戦…、見事なくらいの「挑戦」のオンパレードである。
この安倍総理による「挑戦」という言葉を耳にして、思い出したのが東芝の粉飾事件。歴代の社長が使っていた「チャレンジ」という言葉である。
当時の毎日新聞(2015年7月21日)は、次のように書いている。(2015年7月27日のブログ)
「歴代3社長は、『チャレンジ』と称して過剰な業績改善を各事業部門に要求した」
「この『チャレンジ』という言葉が、東芝を組織ぐるみで不正に走らせたキーワードだった」
この東芝での「チャレンジ」という上からの言葉は、そのまま「粉飾」へとつながっていた。
せめて安倍総理の「挑戦」という言葉が、「粉飾」につながらないことを願いたい。彼の提唱する「一億総活躍社会」が「粉飾社会」とならないことを祈る。(2015年8月16日のブログ)
その「一億総活躍社会」というスローガンについて。
ホームレス支援をしているNPO理事長の奥田知志さんは、次のように語っている。朝日新聞(1月6日)より。
「スローガンはことばですが、実現してこそ意味を持つものです」
「またスローガンという強い光が当たると影が一層濃くなり、その部分が見えなくなる」
「スローガン政治が成立するのは、国民の意思と記憶は継続しないと権力側が思い込んでいる証拠。この点は私たちの側にも課題がある」
我々にとって大事なことは「忘れない」ということ。
すなわち安倍総理の「挑戦」という言葉を聴いて、東芝の「チャレンジ」を思い出すこともその一つなんだと思う。