★「粉飾社会」

2016年1月 8日 (金)

「スローガン政治が成立するのは、国民の意思と記憶は継続しないと権力側が思い込んでいる証拠。この点は私たちの側にも課題がある」

新年、おめでとうございます。

々の更新。気がつけば、年も改まり、2016年に。


その新年の安倍総理の年頭の記者会見(1月4日)。きのう、その言葉を改めて読む。いくつかの新聞にも書いてあったが、この会見で、安倍総理は「挑戦」という言葉を24回使っている。

いくつかピックアップしてみる。

「私たちはその先をしっかりと見据えながら、本年、新しい国造りへの新しい挑戦を始める、そんな年にしたいと思います」

「本日から始まる通常国会はまさに未来へ挑戦する国会であります。内政においても外交においても本年は挑戦、挑戦、そして挑戦あるのみ。未来へと果敢に挑戦する1年とする、その決意であります」

「私も日本の将来をしっかりと見据えながら、木を植える政治家でありたい。それがいかに時間がかかり、いかに困難な挑戦であったとしても、1億総活躍の苗木を植える挑戦をスタートしたいと思います」


「この安定した政治基盤の上に、1億総活躍への挑戦をはじめ、内政、外交の課題に決して逃げることなく、真っ正面から挑戦し続けていきたいと考えています」

「挑戦しない限り何事も成し遂げることはできないわけでありまして、挑戦するのはできるだけ早く挑戦しなければ手遅れになるわけでありまして、ですから、この国会からこの挑戦を、私たちは始めたいと考えております。そして、そのための1億総活躍社会、そういう社会を作っていきたいと思っています」

などなど。まさに挑戦、挑戦、挑戦…、見事なくらいの「挑戦」のオンパレードである。

この安倍総理による「挑戦」という言葉を耳にして、思い出したのが東芝の粉飾事件。歴代の社長が使っていた「チャレンジ」という言葉である。

当時の毎日新聞(2015年7月21日)は、次のように書いている。(2015年7月27日のブログ

「歴代3社長は、『チャレンジ』と称して過剰な業績改善を各事業部門に要求した」

「この『チャレンジ』という言葉が、東芝を組織ぐるみで不正に走らせたキーワードだった」

この東芝での「チャレンジ」という上からの言葉は、そのまま「粉飾」へとつながっていた。

せめて安倍総理の「挑戦」という言葉が、「粉飾」につながらないことを願いたい。彼の提唱する「一億総活躍社会」が「粉飾社会」とならないことを祈る。(2015年8月16日のブログ

その「一億総活躍社会」というスローガンについて。

ホームレス支援をしているNPO理事長の奥田知志さんは、次のように語っている。朝日新聞(1月6日)より。

「スローガンはことばですが、実現してこそ意味を持つものです」

「またスローガンという強い光が当たると影が一層濃くなり、その部分が見えなくなる」

「スローガン政治が成立するのは、国民の意思と記憶は継続しないと権力側が思い込んでいる証拠。この点は私たちの側にも課題がある」


我々にとって大事なことは「忘れない」ということ。

すなわち安倍総理の「挑戦」という言葉を聴いて、東芝の「チャレンジ」を思い出すこともその一つなんだと思う。


2015年8月26日 (水)

「そんな中で、どうやって正気を保つのか。しょっちゅうアイロニックな発言をしてみる、ブラックジョークを放ってみる、実はそういうところから正気に返ることができるのではないか」

前々回のブログ(7月27日)から、「粉飾社会」「水増し社会」というものについて自分なりに書いている。

政治学者の白井聡さんは、いとうせいこうさんとの対談で次のように語っている。NHKラジオ『いとうせいこうトーキングセッション』(8月14日放送) より。

「2011年の『3・11』の発生。特に福島原発事故。あの事故が発生する中で、これはどこかで見たことがあると思った。戦争の時の日本と同じ。あの戦争の後悔と反省の上に立って戦後の日本はあるという戦後の語り。しかし『ここまで嘘だったとは』というのに気づかされた」

戦後日本そのものが、嘘にまみれている…。

もしかすると白井さんが指摘してきた「永続敗戦」こそが、国家による「粉飾」「水増し」の行いなのかもしれない。そういう気もしてくる。

次の白井さんの指摘は、社会主義社会での国民についてのもの。同じくNHKラジオ『いとうせいこうトーキングセッション』(8月14日放送)より。

「人の精神は弱いので、最初は『これ、おかしいじゃないか』と思っていても、利害関係が出て来て、それでメシを食べているということがあると、最初はマズイと思っていても、だんだんやっているうちに『いいところもあるし、必要なものだし』という形で自分をだましていく。これが“虚偽意識”と呼ばれるもの。これこそが、僕は一番の敵だと思っている」

この指摘は、そのまま、東芝を始め、同調圧力の強まっている日本社会そのものにも当てはまる。

つまり“虚偽意識”で満たされている社会…。


こちらも白井聡さんの指摘。著書『偽りの戦後日本』より。

「僕の実感からすれば、日本人から自由を奪っている最大の要素は、同調圧力の強さだと思うのです。ただし、同調圧力はどの社会にもあるので、それに抵抗する弱さと言った方が正確かもしれません」 (P50)

こうした背景もあって、「永続敗戦」、そして「粉飾社会」「水増し社会」は日本という国でどんどん広がり、さらに続いていく。

だからこそ、原発をめぐる「安全神話」という“虚偽意識”も存在し続けているのではないか。

ジャーナリストの船橋洋一さんの次の言葉と重なるビデオニュース・ドットコム『マル激トーク・オン・ディマンド』(3月8日放送)より。

「異論をあえて唱えることをダサい。KYなんだよ、読めないと。空気を読めるやつばかりだから、役に立たない。村と空気のガバナンスをやっているから、どうしても危機には弱い」 (パート①29分ごろ)

では、どうしたらいいのか。処方箋のヒントについても、白井聡さんは語っている。NHKラジオ『いとうせいこうトーキングセッション』(8月14日放送)より。

「戦後の社会主義体制のポーランドのある思想家が『虚偽意識を避けるためにはシニカルであることか、アイロニカルであることがとても大事だった』と言っている。全体主義的な体制、公式な価値観と言うものがばっちり決まっていて、それに外れるようなことは物理的な暴力を与えられる危険性を伴うようなところでは、『それはおかしい』とは率直に言えない。そうなると、その中で生き延びながら批判的意識を持つということはとても難しいこと」

「そんな中で、どうやって正気を保つのか。しょっちゅうアイロニックな発言をしてみる、ブラックジョークを放ってみる、実はそういうところから正気に返ることができるのではないか」


これは、サッカー界の差別的言動が問題になった時に文化人類学者の今福龍太さんが語っていた次の言葉とも重なる。毎日新聞(10月31日)より。(2014年12月17日のブログ

「差別的現実に硬化し、権力による監視や懲罰という対抗にうって出ることは、かえって社会の柔軟な自浄作用を阻害する。むしろ、パロディや関節はずしのようなエレガントな対処法によって、この問題への一人一人の理解の裾野を広げてゆくことも重要だ」


もうひとつ、白井聡さんの言葉。NHKラジオ『いとうせいこうトーキングセッション』(8月14日放送)より。

「どう生きるべきかという話はそんなに難しいことではない。これは不愉快だな、これはおかしいな、これには乗れないな、と言うものに対しては、『嫌だ』と言い続けるしかない」


<白井聡さん関連>

「永続敗戦」(2014年7月15日のブログ

「永続敗戦」と「予測社会」(2014年10月9日のブログ

<水を差す>

 2013年9月13日のブログ

2013年9月17日のブログ


2013年年10月9日
のブログ


<違和感>

2014年6月28日のブログ  

2014年12月18日のブログ  

 

2015年8月16日 (日)

「重要なことは二度経験しないと本当は理解できないのです。ドイツは戦争に二度負けているが、日本は一度しか負けていない」

安倍晋三総理が、「戦後70年談話」を発表した。テレビで聴いていて、僕なりにいろいろと思ったこともあるが、今日はその中のある一文をピックアップしてみたい。外務省HPより

「満州事変、そして国際連盟からの脱退。日本は、次第に、国際社会が壮絶な犠牲の上に築こうとした『新しい国際秩序』への『挑戦者』となっていった。進むべき針路を誤り、戦争への道を進んで行きました」

ここで“挑戦者”という言葉が出てくる。外務省の英訳には、「challenger」と書かれている。

チャレンジ…。

前回のブログ(7月27日)で触れた東芝の粉飾決算でキーワードとなった言葉である。


太平洋戦争当時の日本政府や軍部は、国際社会に「チャレンジ」した。そして、大きな犠牲を払ったうえで、ちょうど70年前のきのう「敗戦」したのである。

“チャレンジ”というものは、本来の意味からすれば、そういうものなのだろう。失敗の可能性が高いが、あえて挑むことのこと。

そして、前回のブログでは、“チャレンジ”という言葉のほかに、日本社会は、もはや「粉飾社会」「水増し社会」と呼んでいいのではないのか。そんなことを書いた。東芝だけでなく、日本の社会全体において、自分たちを必要以上により良く見せようという「粉飾」「水増し」にあふれているのではないか。

日本在住が長かったオランダ出身のジャーナリスト、カレル・ヴァン・ウォルフレン氏は、最近の日本社会について次のように指摘している。著書『偽りの戦後日本』より。

「やがて日本も新自由主義の影響を受けるようになりました。『効率』ばかりを重視すれば、クオリティ(質)に問題が生じてしまいます。それでもよしとされるようになった。中身の質がどうであれ、とにかく効率を重視する。そのためには『見た目』が重要です。見た目さえ整っていれば、実態が伴っていなくても構わない。つまり、現実が『見た目』に置き換えられてしまった」

「PR(パブリック・リレーションズ=広報活動)を駆使すれば、『見た目』を繕うことも簡単です。そうしてPR重視の考えが広がってしまい、日本の良さのみならず、本来持っている強さまで失われていきました」 (P143)

まさに、東芝が陥った問題の本質は、ここにある。

今の社会では、とにかく「見た目」が重要、とのことである。新自由主義の広まりによる「効率」崇拝。それによって、あらゆる場所で「見た目」重視が、日本全体に広がっているということになる。

このウォルフレン氏に対して、政治学者の白井聡さんも次のように語る。著書『偽りの戦後日本』より。

「新自由主義は世界資本主義の趨勢です。効率が効果にとって代わることで、本質的な意味での生産性の基礎となる社会の体力が奪われて行きます。だから中身はスカスカになって行くのですが、それを広告で誤魔化す。あらゆる社会的領域でそのような現象が起こっています」 (P143)

もしかしたら…、と勝手に考えてしまったのが、「広告によって『見た目』を繕う、ごまかす風潮」は、そのまま戦争を受容する社会への流れ、空気づくりにつながりやすいのかもしれない、ということ。

NHKスペシャル『憎しみはこうして激化した~戦争とプロパガンダ~』(8月7日放送)を観た。

太平洋戦争当時、日米両国ともに、敵に対する憎しみを煽ったプロパガンダ映像を作った。それによって国民の戦意高揚を促し、戦費調達のための巨額な国債購入につなげた、という。

この番組には、太平洋戦争当時、硫黄島などの戦地での撮影の責任者を務めたアメリカ軍元海兵隊映像部のノーマン・ハッチ氏という方が出てくる。94歳でいまも健在である。

 ハッチ氏は、次のように語る。

「司令部は、アメリカ兵の遺体や負傷者の映像を公開すれば、国民が戦争に対して悪いイメージを抱くと恐れていました。『不都合な映像』を排除することでリスクを避けたのです」

「プロパガンダの目的は、人の心を操作することです。観客に次々と刺激を与え続けるのです」

「映像は使い方によって強力な武器となります。国民を動かし、戦争へ積極的に協力するよう導くのです」


戦争というものでは、国家や軍部にとって不都合なものは隠される。きっと特定秘密保護法案の整備や歴史主性主義というものも、この文脈の中で出てきたことなのだろう。

70年前と違うのは、今の時代には、テレビというメディアがある。このテレビというものは、70年前のニュース映画以上にプロパガンダに利用しやすいのではないか。

たまたまだが、久米宏さんが自身のラジオ番組でテレビというメディアについて次のように語っていた。TBSラジオ『ラジオなんですけど』(7月18日放送)より。

「テレビって怖い。話の中身を聴いていない。見た目だけで判断される。何を言っているかは二の次。それがテレビの本質です」

つまり、テレビというメディアは、「見た目」さえ整えれば、という“粉飾社会”“水増し社会”、すなわち新自由主義や戦争と相性がいいということなのであろう。

中身や本質というものより、効率、見た目が重視される社会が広がっていく。そこで我々は、どんなところに注意して処していけばいいのか。

もしかして、こんなことも処方箋になるかもしれない。ドイツ文学者の池内了さんの言葉。朝日新聞(8月14日)より。

「語られていること以上に、語り方が真意をあらわしているものである。時の権力者、また権力にすり寄る人々の語り口を、少し意地悪く見張っているのも悪くない」

我々は、“粉飾社会”“水増し社会”に埋もれないようにしないといけない。その社会では、常に本質を見抜く「眼力」を鍛えないといけない。きっと。

最後に、白井聡さんが上記の著書『偽りの戦後日本』で語っていた印象的な言葉も載せておきたい。

「重要なことは二度経験しないと本当は理解できないのです。ドイツは戦争に二度負けているが、日本は一度しか負けていない。だから敗戦の事実を完全には理解できていない。そのことが原発事故にも共通しているようにも感じます」 (P174)


<参考>

2月17日のブログ



 

 

2015年7月27日 (月)

「悪弊を断つためには、『おかしいぞ』と声に出してチャレンジする人物の出現を待つしかないのだろうか」

東芝の不正会計問題について。

東芝が起こした不正会計の問題というか、粉飾決算について、例えばNHKWEB(7月22日)では、NHK経済部の野口恭平記者が次のように書く。

「報告書では、東芝には『上司の意向に逆らうことができない企業風土』があったと指摘しています。そのことを象徴することばが、『チャレンジ』というキーワードです」

「社長が『チャレンジ』と称して、会議の場で、高すぎる利益などの目標でも必ず達成するよう厳しく求めていたとしています」


また毎日新聞『経済プレミアム』(7月21日)の記事では…。

「歴代3社長は、『チャレンジ』と称して過剰な業績改善を各事業部門に要求した」

「この『チャレンジ』という言葉が、東芝を組織ぐるみで不正に走らせたキーワードだった」


この東芝の不正会計問題では、個人的には、この「チャレンジ」という言葉がとにかく印象的だった。

ちなみに、英語の「challenge」の正確な意味は、次のようになる。The Japan Times「BOOK CLUB より。

challengeは動詞では『挑戦する』。名詞では、『挑戦』という重々しい言葉にふさわしいほどに『困難なこと』。日本語の『チャレンジする』より、はるかに語感が重く、危険で不可能に近いことに使います」

東芝で使われていた「チャレンジ」は、もともとの英語の意味に極めて近い。危険で、不可能に近いことだからこそ、結果、「水増し」が横行したのだろう。

NHKスペシャル『戦後70年 ニッポンの肖像―政治家の模索―第2回』(7月19日放送)という番組を観た。

この番組の中で、ジャーナリストの田原総一朗さんは、アベノミクスについて、次のようなコメントをしていた。


「『今や成長はない』『資本主義は終わりだ』という意見もある。僕はアベノミクスというのは、これに対する“チャレンジ”だと思う。アベノミクスは『いや、成長はするんだ』というもの。僕は“チャレンジ”という意味では、アベノミクスを買っている。成功するかどうかは分からない。これは“壮大なチャレンジ”です」

東芝問題を知らない段階での発言だと思うが…。

さらに調べてみると、
政府広報オンラインのHPも興味深い。


「チャレンジ日本」というフレーズを掲げたうえ、次のように説明する。

「アベノミクスの第3の矢『成長戦略』は岩盤のようにかたい規制や制度に果敢にチャレンジしてきました。若者・女性・企業の皆さん、活躍の舞台は徐々に整いつつあります。さあチャレンジのチャンスです。持続的な経済成長を目指して一緒にチャレンジしましょう」

チャレンジ日本…。結構、シャレにならないかもしれない。

ここでアベノミクスについて使われている「チャレンジ」という言葉と、東芝事件での「チャレンジ」という言葉に本質的な差はないのではないか。


また上記で紹介した「報告書では、東芝には『上司の意向に逆らうことができない企業風土』があったと指摘しています」という指摘。

これも「今の自民党には『上司の意向に逆らうことができない党内の空気』がある」と置き換えても何の問題もない。

やれやれ。

東芝やアベノミクスだけではない。日常にあふれる宣伝文句や、必要以上にシアワセ感をアピールするSNSの個々の記事…。この社会は、すっかり「粉飾」や「水増し」といったものに馴れてしまっている気がする。


なんとかプラス面の言葉も紹介して終わりたかったので、調べてみると秋田魁新報コラム「北斗星」(7月22日) が、この東芝問題を取り上げていた。その最後の言葉を載せておきたい。

「悪弊を断つためには、『おかしいぞ』と声に出してチャレンジする人物の出現を待つしかないのだろうか」

アベノミクスはもちろん、安保法制についても、野党だけではなく、自民党、もしくは公明党内に「おかしいぞ」と声を挙げ、正しい意味でチャレンジする政治家が出現してほしい。心からそう思う。

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