「日本は人々がパブリックなことを話し合うための場所をなくすことに、見事に成功したんですね。本拠地がないと、運動は続かないですから」
先日、新宿歌舞伎町へ行った。旧コマ劇前にあった噴水はなくなり、広場そのものもノッペリとした感じとなっている。
この噴水広場は、歌舞伎町の名づけ親で、都市整備を担当した石川栄耀氏が作ったもの。彼のことは、以前(9月1日のブログ)で触れた。
皇居前広場、新宿西口広場…、戦後の時代に市民たちが志を持って集まっていた広場は、次々と集会が禁じられていった。戦後70年、徐々に政府や自治体は、市民が集まり、対話するパブリック・公共の場所を奪ってきたのである。
東京という街から広場が消えたからこそ、デモは国会前の路上に集まり、お祭りで騒ぎたい人たちは渋谷の交差点に集まる。ただ、そこはあくまでも道路。道路を管轄する警察のさじ加減で規制される。決して、人々が自由に集まれるパブリックの場所ではない。
ノンフィクション作家の高野秀行さんと歴史学者の清水克行さんの対談を思い出す。著書『世界の辺境とハードボイルド室町時代』より。
高野 「英語の『パブリック』と日本語の『公』って言葉としてかみ合わないんで。日本の公って一体何だろうってよく考えます」
清水 「『パブリック(公共の)』と『オフィシャル(公式の)』の違いなんでしょうね」 (P294)
確かに今の日本では、パブリックという場所は、全てお上の管轄の場所に置かれている。許可が必要なのである。政府や自治体は、その時々で「パブリック」と「公」という言葉を使い分け、市民を管理しようとする。
日本から「広場」はなくなり、民主主義は後退した。そういうことなのだろう。
さらに最近は、市民団体に対して、公共の施設や大学のホールが貸し出されない事例が相次ぎ、ジュンク堂という書店までもが自主規制を受け入れた。いずれも、これまでは「公共の役割」を果たしてきたと思っていた場所である。
武蔵野大学教授の永田浩三さんのコメント。雑誌『AERA』(12/26&1/4号)より。
「このところ、政府批判を許さない風潮や、自治体などが勝手に政府の意向を忖度して自主規制する傾向がある。公民館などの公共施設は戦後に民主主義を市民に普及する場だった。そこで言論の自由を守らなければ、民主主義が揺らいでしまう」 (P32)
ジュンク堂難波支店の店長、福嶋聡さんのコメント。
「書店は意見の交戦の場であって、あらゆる意見を排除しないという民主主義を体現している場所です」 (P33)
そうなのだ。お上はついに、広場以外の「パブリックな場所」をも奪おうとしているのである。
作家の高橋源一郎さんの言葉。雑誌『AERA』(12/26&1/4号)より。
「日本は人々がパブリックなことを話し合うための場所をなくすことに、見事に成功したんですね。本拠地がないと、運動は続かないですから」 (P18)
その結果、この国では民主主義が危機を迎えている。
最後に、石川栄耀さんの言葉をもう一度、載せておきたい。『都市計画家 石川栄耀』より。
「広場は民主社会のレッテルであるように思える。日本にそれがないことは淋しすぎる。何となく日本人の性格の中に民主主義が無いことを意味するように思えるからである」 (P240)