★民主主義って何だ?

2015年7月23日 (木)

「畑を耕す人。種をまく人。水をやる人。民主主義では手間と時間がかかり、経験則はあっても『正解』はない」

少し前のブログ(6月24日)で、映画『海街diary』の中で四姉妹が庭の梅ノ木について話す次のセリフを紹介した。

「実も成るけど、ケムシもつく」

「ケムシとったり、消毒したり」


「生きているものには、みんな手間がかかる」


NHKBSプレミアム『新日本風土記』(7月17日放送)を観ていたら、上記の四姉妹のセリフと重なるセリフが出てきた。

名古屋の「どて焼き島正」のご主人、喜邑定彦さんの言葉。喜邑さんは、名物であるダイコンのみそおでんを10日もかけて仕込むという。おいしさの秘訣について次のように語る。


「どうしても日にちをかけるしか、手間をかけるしかない。そこまでやらんでも、というようなことまでやってしまう。何でか知らんけど、やっとるうちについそういう風になってっちゃうんだ。たぶんモノを作るってことは、そういうことなんだと思う」

大切なものを作り、育てる。そして続けていく、守っていくためには、時間と手間をかけるしかない。 ということ。

民主主義というものも、これと変わらない。ということは、前回のブログでも触れた。そのあと重なる言葉を見かけたので、それも紹介したい。

朝日新聞記者の馬場純子さんの指摘。朝日新聞(7月3日)より。

「畑を耕す人。種をまく人。水をやる人。民主主義では手間と時間がかかり、経験則はあっても『正解』はない」

「誰も世話しなければ枯れ、多くの人が手をかければ、いつか実がなる」


そうなのである。“正解”はないからこそ、日々の生活の中で手間と時間をかけ、その都度のベターを目指して繰り返しいくしかない。

詩人の長田弘さんの次の言葉ともどこか重なる気がする。毎日新聞(5月17日)より。

「日常愛とは、生活様式への愛着です。戦争や災害の後、人は失われた日常に気づきます。平和とは、日常を取り戻すことです」

今、書いてみて気づいたのだが、この長田弘さんの言葉は、映画『海街diary』が描こうとした世界観をそのまま言い表していると思う。

2015年6月24日 (水)

「生きているものには、みんな手間がかかる」

是枝裕和さんが監督した映画『海街diary』を観た。人びとの暮らしが淡々と描かれていて、とても良い映画だった。

映画に出てくる人たちは、みんな自らの暮らしに良いこと、悪いことを複雑に抱えながら、でも楽しそうに生きている。

主人公の四姉妹(幸・佳乃・千佳・すず)が、自宅の庭の梅の木について語り合う。

「実も成るけど、ケムシもつく」

「ケムシとったり、消毒したり」

「生きているものには、みんな手間がかかる」


このセリフがとても印象的だった。

梅の木だけではない、人の心や生活にだって、実も成れば、ケムシもつく。良いことも悪いことも起きる。社会だって、そう。良いことだって、悪いことだって予期せず起きる。それが生きる、ということ。暮らす、ということ。きっと。

とにかく手間がかかるのである。そして、なんとか折り合いながら生きて行く。

宮崎駿さんの言葉を思い出す。このブログでは何度も紹介した。NHK『プロフェッショナル』(2013年11月13日)より。

「面倒くさいっていう自分の気持ちとの戦いなんだよ。何が面倒くさいって究極に面倒くさいよね。『面倒くさかったらやめれば?』『うるせえな』ってことになる。世の中の大事なことって、たいてい面倒くさいんだよ」

さらに、やましたひでこさん著書『「めんどくさい」をやめました』より。

「私たちはさまざまな物事や、さまざまな人たちとつながり、そのつながりのなかで生きています。もしも、『めんどくさい』を繰り返しつながりを断っていけば、結果的に自分自身を孤立させ、人生の広がりを狭めてしまいます」 (P24)

「『めんどうくさい』というのは、『やりとげなければ」という気持ちの表われ。『やめられない』という前提があるから出てくる言葉なのかもしれません」 (P173)

そう。その手間や面倒が、人や街や季節とのつながりも生み、その中で生きていることを実感させてもくれる。

それ
でも時には個人では手におえない大きな「手間」や「面倒」が起きることもある。そのためにそれを「仕事」として請け負う人がいる。

映画の中で、加瀬亮さん演じる信用金庫の職員(坂下美海)が次のようなセリフを口にする。

「面倒くさいことをするのが、私たちの仕事」

話は飛んでしまうが、本来、政治家の人たちの仕事だって、そうなんだと思う。手間がかかること、面倒くさいこと、それを国民や市民の代わりとなって大きな所で請け負っていくのが政治というものなのではないか。

それなのに、今の政治の世界では「効率」とか「スピード」とかが大事にされ、政治家は誰も手間がかかることや面倒くさいことをしたがらない。

作家の高橋源一郎さんTBSラジオ『セッション22』(6月9日放送)より。

「今は“どんどん早く決めろ”となっている。民主主義はギリシアが発祥の地。それまでは独裁制だったのを、『決められる政治』から『決められない政治』にした。それは、なぜかと言うと、早く決めることによって誰も考えなくなるから。ゆっくり決めるということは大変。ずっと考えて、ずっと相手の話を聴いて、ずっと相手を説得する。手間も暇もかかる」

「政治というのは“早く決めて、役に立てばいい”となっている。政治の結果、何かが出来る。でも、それよりも、それを通じて人間が変わる。知恵を得る。前より冴えたことを考えられるようになる。違う世代のことを考えられるようになる。それが実は民主主義の本質なのではないか」


民主主義だって、梅の木と同じなのである。みんな手間がかかる。それを忌避してはいけない。

ちょっと飛躍し過ぎかな…。

最後に
改めて、映画『海街diary』の話。

この映画を観ていて、つくづく思ったのは、しょせん人間は、季節や街(社会)に「寄生」しているにすぎないということ。たぶん季節や街が与えてくれる「手間」や「面倒」を受け入れ、折り合い、それをきっかけに人とつながったり楽しんだりすることこそが「暮らし」というものなのではないか…。

リリー・フランキーさん演じる店長(福田仙一)が最後に口した「こそっと」という言葉も個人的には好き。

我々は、季節や街の中に、“こそっと”自分の居場所をみつけながら生きて行く。そんな感じなのかもしれない。



2015年4月 6日 (月)

「嘘をつく国家は、いつか滅びるものです」 

前回のブログ(4月5日)の最後に「多数決」について指摘する文章を載せた。

その後、過去のメモから「多数決」についての言葉をいくつか見つけたので、それを紹介しておきたい。

社会学者の宮台真司さんTBSラジオ『デイキャッチ』(2013年5月3日放送)より。

「民主の本義は多数決ではないんです。自治なんです。自分たちで自分たちのことを決めること。これがね、民主主義の本義なんです」

「自分たちで自分たちのことを決める。そこに、統治権力が勝手に介入してこられてしまっては自治が成り立ちませんよね」


まさに沖縄では、民意を得た自治に、国が介入しようとしている。

弁護士の伊藤真さんサイト『けんぽう手習い塾』(第3回)より。

「多数決によっても奪ってはならない価値、多数決によっても入り込んではいけない領域が個人の良心や宗教であり、個人の価値観であり、一人ひとりの生き方です。憲法はこうした私的領域を守るためにあるといってもよいでしょう」

さらに伊藤真さんの言葉。『けんぽう手習い塾』(第44回) より。

「暴力という力と多数の力はときに同じように民主主義を危うくします」

「少数派の人たちが、自分たちが意見を言っても無駄だ、聞いてもらえないし、どうせ強行採決されてしまうのだからと諦めてしまうようになったら立憲民主主義は成り立たないのです」


民主主義のもとでは、多数決原理によって多数派の求めることが正義になる。が、人間には多数決によってもけっして奪ってはならない自由と尊厳がある。それを守る最後の砦が憲法であり、立憲主義、ということである。

東京新聞の大場司さん
東京新聞(2012年8月15日)より。

「少数派は、多数派が気付かない社会の異常、不条理にいち早く反応する“感知器”の役割を果たします」


内田樹さんの言葉。著書『子どもは判ってくれない』より。

「自分の意見に反対する人間、自分と政治的立場が違う人間、自分の利益を損なう人間であっても、それが『同じ日本社会』の構成員であるかぎり、その人は『同胞』であり、その権利を守り、その人の利害を代表することが私の仕事であると言い切れる人間だけがその語の厳密な意味における『公人』、すなわち『市民』(civis)であるとオルテガは考えており、私はその考えを支持する」

ここでのオルテガとは、スペインの哲学者オルテガ=イ=ガセーのこと。

政治学者の國分功一郎さんTBSラジオ『セッション』(3月23日放送)より。

「『民主主義は多数決でしょ』とよく言われる。多数決は最後にとる手段だけど、多数決をすればいいのではない。多数決をすればいいのであれば、別に審議する必要はない。それはまずいとみんな何となく思って言うのは、やっぱり審議しないといけない。ではなぜ審議するかというと、情報を公開して共有してもらうため」

「最近思うのは、情報の公開、情報の共有というものが民主主義の根幹だと思う。それがなされないと議論も何もない」


なぜ、「情報の公開、共有」が大切なのか。

「情報が公開されないで、権限が強くなっていくと失敗をどんどん隠していく。まずいことが進んでいく。それを正当化するための議論を必要に作り上げていく。だから情報の公開がいかに重要かということ。情報が公開してみんなで話し合って決める方が、組織全体がうまく行くということ」

結局、沖縄問題も、情報を公開しての政府と沖縄側による時間をかけた話し合いがもっと必要だということ。

しかし特定秘密保護法や、メディアへの介入など、今の政策は「情報の公開」とは逆へ逆へと進んでいく。なにせ、日本は「報道の自由度ランキング」が世界59位なのである。

国家権力が物事を隠し、国民にウソをつくようになると…。先月29日に亡くなった外務省の元アメリカ局長の吉野文六さんの言葉を思い出す。『ふたつの嘘』(著・諸永裕司)より。

「嘘をつく国家は、いつか滅びるものです」 (P315)



2015年4月 5日 (日)

「多数決をなぜやるかというと、少数派の発露の機会を与えるためにやる」

沖縄県の翁長知事と、菅官房長官がようやく話し合いを持った。ようやくである。

久米宏さんは、安倍政権の対応について次に様に指摘した。TBSラジオ『ラジオなんですけど』(4月4日放送)より。

「安倍政権のうたい文句の一つが『地方創生』。地方を生き返らせる、地方が元気になれば日本が元気になる…。で、『地方創生』というお題目と、地方の民意を尊重しないというのは矛盾するんじゃないかと、僕は思う。地方創生をうたい文句にしておいて、地方の民意は無視するというのはだいぶ矛盾があるのではと僕は考えるわけです」

地元のそれぞれの暮らし、すなわち地方の持つ「個別性や複雑性」よりも、国による「全体化」が押し付けられていく。

結局、政府が看板に掲げている地方創生というのは、そういうことなのだと思う。「国の言う通りをしろ」ということ。

社会学者の山下祐介さんの指摘を改めて。雑誌『世界』(4月号)より。(3月14日のブログ


「今の態勢のままでは、ここでまた新たな『地方創生至上主義』が生み出され、地方を守るためのはずが、それを破壊するものへと展開を始めて行くのではないか」 (P90)

沖縄の問題は「構図」としてそのまま我々の問題なのである。同じ「構図」によって、日本全国で地方の「個別性」が排除されていく。

統一地方選も盛り上がらないのも当然である。どうせ国が地方の民意を踏みにじるのだから誰がなっても…。

今回の道府県議選の31%の選挙区が無投票だという。今後、さらに増えかねない。

無投票…。候補者が審判を受けずに、政治を担うという問題点がある。

総務省のHPには「選挙の意義」について書かれている。「身近な選挙」について次にように。

「『選挙』とは、私たちの代表を選び私たちの意見を政治に反映させるためのもの。そのためにも、私たち一人ひとりが『選挙』に関心を寄せることで、『選挙』はもっと身近なものになるといえます」

選挙がなければ、さらにさらに選挙は「遠いもの」となっていく。

そして、HPには「多数決」について次に様に書かれている。

「民主政治の原則である多数決は、人々の意見を集約し、決定する際に用いる方法です。より多くの支持を得た者を代表者とすることによって、政治の安定化を図ります」

ただ、その多数決は、代表者を決めるだけに行われるのではない。法学者の木村草太さんは次にように語る。TBSラジオ『セッション』(3月23日放送)より。

「多数決をなぜやるかというと、少数派の発露の機会を与えるためにやる。反対がどれくらいいるかというのも、多数決をやらないと分からない。少数派がどれくらいいるのかを多数派に突き付ける機会が多数決だと考えるべき」

ただ沖縄を始め、地方に限っては「多数派」の発露にさえなっていない。信じられないことに。

その結果なのか、地方選の無投票が増えていく。無投票というのは、まったく民意の「個別性と複雑性」をくみ取ることができないということである。



2014年5月30日 (金)

「みんなで決めたことは大抵間違っている。みんなで何か真実なのか見極めようとするプロセスに意味がある」

きのうの朝日新聞(5月29日)に、作家の高橋源一郎さんによる『論壇時評』が載っていた。台湾学生による立法府占拠事件について、次のように書いている。

「学生たちが私たちに教えてくれたのは、『民主主義とは、意見が通らなかった少数派が、それでも、『ありがとう』ということのできるシステム』だという考え方だった」

なるほど、いい考え方だと思う。

そこで、これまでも「民主主義」について言葉を紹介してきたが、今回も上記の高橋さんの言葉とつながっていると思われる「民主主義」についての言葉を並べてみたい。(『民主主義』

コピーライターのマエキタミヤコさん『原発をどうするか、みんなで決める』から。

「今の世の中の多数の人々は何を思い、何を考えているのか。民主主義を通じては、自分だけの思い通りの社会を作ることはできないでしょう。しかし、みんなの思っている社会をつくっていくこと、それが民主主義には可能です」

こちらも、いい指摘だと思う。ただ、みんやや多数の人が思っている社会が必ず「正しい」わけでもない。次は、そんな言葉を。

精神科医の斎藤環さんの指摘。著書『ヤンキー化する日本』から。

「庶民のホンネを代弁するのが代議制民主主義だろう、という意見もあるだろうが、ホンネ幻想に支配された多数派だけが、あっさり衆愚政治に堕してしまうことは想像に難くない。僕自身は、どんな状況でも政治家の仕事は、『理想』を語りその現実を目指すことであると確信しているが、この考え方は日本政治という幻想空間の中ではほぼ通用しないようだ」 (P35)

社会学者の宮台真司さんトークイベント(2011年12月7日)での発言。

「みんなで決めたことに意味があるわけではない。みんなで決めたことは大抵間違っている。みんなで何か真実なのか見極めようとするプロセスに意味がある」

そう。間違うことが多いからこそ、その「プロセス」が大事になる。

憲法学者の木村草太さん著書『テレビが伝えない憲法の話』から。

「私は、最近、『有権者の多数決』を『国民』と同視し、多数決なのだからとにかく従え、それが国民主権だという素朴な議論が幅を利かせていることに、少なからぬ危機感を持っている」 (P84)

「最後には、議会での多数決がなされるにしても、歩み寄りの努力が十分になされたかどうか、そのプロセスの重要性を忘れてはならない。そのプロセスこそが、数の暴力との違いを基礎付け.反対者までをも拘束することの正当性を担保するのである」 (P85)

最後にもう一度、高橋源一郎さんの言葉を。きのう(5月29日)の自身のツイッターから。

「民主主義に決まった形はなく、また『正しい』民主主義がどこかにあるわけでもありません。民主主義とは、絶えず変わってゆく『未完のプロジェクト』なのかもしれません」

「この国の民主主義もまた、死んだわけでもなく、壊れたわけでもなく、まだ生まれていないのかもしれません」


我々なりの「民主主義」を探していく。きっと「民主主義」の本質は、「プロセス」にしかないのかもしれない。そう思えてきた。

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