「畑を耕す人。種をまく人。水をやる人。民主主義では手間と時間がかかり、経験則はあっても『正解』はない」
少し前のブログ(6月24日)で、映画『海街diary』の中で四姉妹が庭の梅ノ木について話す次のセリフを紹介した。
「実も成るけど、ケムシもつく」
「ケムシとったり、消毒したり」
「生きているものには、みんな手間がかかる」
NHKBSプレミアム『新日本風土記』(7月17日放送)を観ていたら、上記の四姉妹のセリフと重なるセリフが出てきた。
名古屋の「どて焼き島正」のご主人、喜邑定彦さんの言葉。喜邑さんは、名物であるダイコンのみそおでんを10日もかけて仕込むという。おいしさの秘訣について次のように語る。
「どうしても日にちをかけるしか、手間をかけるしかない。そこまでやらんでも、というようなことまでやってしまう。何でか知らんけど、やっとるうちについそういう風になってっちゃうんだ。たぶんモノを作るってことは、そういうことなんだと思う」
大切なものを作り、育てる。そして続けていく、守っていくためには、時間と手間をかけるしかない。
民主主義というものも、これと変わらない。ということは、前回のブログでも触れた。そのあと重なる言葉を見かけたので、それも紹介したい。
朝日新聞記者の馬場純子さんの指摘。朝日新聞(7月3日)より。
「畑を耕す人。種をまく人。水をやる人。民主主義では手間と時間がかかり、経験則はあっても『正解』はない」
「誰も世話しなければ枯れ、多くの人が手をかければ、いつか実がなる」
そうなのである。“正解”はないからこそ、日々の生活の中で手間と時間をかけ、その都度のベターを目指して繰り返しいくしかない。
詩人の長田弘さんの次の言葉ともどこか重なる気がする。毎日新聞(5月17日)より。
「日常愛とは、生活様式への愛着です。戦争や災害の後、人は失われた日常に気づきます。平和とは、日常を取り戻すことです」
今、書いてみて気づいたのだが、この長田弘さんの言葉は、映画『海街diary』が描こうとした世界観をそのまま言い表していると思う。