「日記をつけることで、実に多くのことを、葬り去る」
今回は、ちょっと「雑感」として。
このブログは、目についた「言葉」のメモがわりに始めたもの。そして自分が日々、どんな言葉が気になっているか、の「日記」のつもりで、タイトルに「その日記」と付け加えた。
そんな言葉をいくつか並べると、ひとつの「文脈」が生まれ、それまで自分には見えてなかったものが見えたりする。
今回は、このブログを書いていく上での自分の気持ちと重なる言葉を並べてみたい。
先日、日本映画のアカデミー賞が発表され、最優秀作品賞には映画『海街diary』が選ばれた。僕も好きな作品で、このブログでも取り上げた。(2015年6月24日と、7月23日のブログ)
その監督、是枝裕和さんの言葉。雑誌『SWITCH』(2015年6月号)より。
「タイトルの『海街』という言葉、そしてそこに『ダイアリー』という言葉がついている」
「『海街物語』ではなく『海街ダイアリー』であるということ、つまり日々の時間が積み重なっていく街のはなしだという、その印象を残したいなと思いました」
「四人の姉妹がいて、彼女たちの住んでいる家があり、その周りに街がある。そうやって物語とともに広がっていく風景の中に、人がどういるか、どう自分の居場所を見つけるか、という話だと思ったんです」 (P52)
そう。このブログも、言葉が、そして自分自身が、どう居場所を見つけていくか。そんな感じ。
言語学者の外山滋比古さん。著書『知的生活習慣』より。
「情報化時代といわれる時代、頭に入ってくるものも、かつてとは比較にならないほど多くなっているに違いない」
「いかに賢く忘れるかは、昔の人の知らなかった今の人間の課題である」
「忘れ方にもいろいろあるが、文字に書いてみると、忘れやすい、ということをうまく利用するのである。そう考えると、日記は心覚えのために付けるのではなく、むしろ、忘れて頭を整理する効用のあることがわかってくる」
「日記をつけることで、実に多くのことを、葬り去る。小さなことまで書くスペースもないし、時間もない。ここで、多くのことが捨てられる」 (P26)
「そして書き留めておけば、心のどこかで、“もう安心、記録してある”とささやく声がして、本人は知らないが、ゴミ出しが進む。日記をつけ終わったとき、一種の快感を覚えるのは、忘却、ゴミ出しがすんで、気分が爽快になることのあらわれだと解することができる」
「いらぬことを忘れぬために日記はある」 (P27)
そうそう、そうなのである。
そして、作家の高橋源一郎さん。『朝日新聞DIGITAL』(1月28日配信) での、鷲尾清一さんとの『折々のことば』についての対談から。
「僕も『折々の社会のことば』を探しているわけです。探してみると、こんなところにあるの?と思うようなところで見つかる。その人がきちんと生きてきたということを、説明している言葉、あるいは説明はしにくいけれど、何かが伝わるような言葉がある」
「一番大切なのは、こういう言葉を聞くとかすかに抵抗がある、言う時に抵抗がある、っていう自分の中の抵抗感です。それが言葉との付き合い方かなと」
わかる。そんな感じ。
すいません。
今日は、このブログの意義を自分で確認するために言葉を並べてみました。