★雑感

2016年3月 9日 (水)

「日記をつけることで、実に多くのことを、葬り去る」

今回は、ちょっと「雑感」として。

このブログは、目についた「言葉」のメモがわりに始めたもの。そして自分が日々、どんな言葉が気になっているか、の「日記」のつもりで、タイトルに「その日記」と付け加えた。

そんな言葉をいくつか並べると、ひとつの「文脈」が生まれ、それまで自分には見えてなかったものが見えたりする。

今回は、このブログを書いていく上での自分の気持ちと重なる言葉を並べてみたい。

先日、日本映画のアカデミー賞が発表され、最優秀作品賞には映画『海街diary』が選ばれた。僕も好きな作品で、このブログでも取り上げた。(2015年6月24日と、7月23日のブログ

その監督、是枝裕和さんの言葉。雑誌『SWITCH』(2015年6月号)より。

「タイトルの『海街』という言葉、そしてそこに『ダイアリー』という言葉がついている」

「『海街物語』ではなく『海街ダイアリー』であるということ、つまり日々の時間が積み重なっていく街のはなしだという、その印象を残したいなと思いました」


「四人の姉妹がいて、彼女たちの住んでいる家があり、その周りに街がある。そうやって物語とともに広がっていく風景の中に、人がどういるか、どう自分の居場所を見つけるか、という話だと思ったんです」 (P52)

そう。このブログも、言葉が、そして自分自身が、どう居場所を見つけていくか。そんな感じ。

言語学者の外山滋比古さん著書『知的生活習慣』より。

「情報化時代といわれる時代、頭に入ってくるものも、かつてとは比較にならないほど多くなっているに違いない」

「いかに賢く忘れるかは、昔の人の知らなかった今の人間の課題である」

「忘れ方にもいろいろあるが、文字に書いてみると、忘れやすい、ということをうまく利用するのである。そう考えると、日記は心覚えのために付けるのではなく、むしろ、忘れて頭を整理する効用のあることがわかってくる」


「日記をつけることで、実に多くのことを、葬り去る。小さなことまで書くスペースもないし、時間もない。ここで、多くのことが捨てられる」 (P26)

「そして書き留めておけば、心のどこかで、“もう安心、記録してある”とささやく声がして、本人は知らないが、ゴミ出しが進む。日記をつけ終わったとき、一種の快感を覚えるのは、忘却、ゴミ出しがすんで、気分が爽快になることのあらわれだと解することができる」

「いらぬことを忘れぬために日記はある」 (P27)

そうそう、そうなのである。

そして、作家の高橋源一郎さん『朝日新聞DIGITAL』(1月28日配信) での、鷲尾清一さんとの『折々のことば』についての対談から。

「僕も『折々の社会のことば』を探しているわけです。探してみると、こんなところにあるの?と思うようなところで見つかる。その人がきちんと生きてきたということを、説明している言葉、あるいは説明はしにくいけれど、何かが伝わるような言葉がある」

「一番大切なのは、こういう言葉を聞くとかすかに抵抗がある、言う時に抵抗がある、っていう自分の中の抵抗感です。それが言葉との付き合い方かなと」


わかる。そんな感じ。

すいません。
今日は、このブログの意義を自分で確認するために言葉を並べてみました。



2015年6月12日 (金)

「日本は『理』が通るところではない。『理』が通らない社会を、どう生きるか」

安保法制について、自民党副総裁の高村正彦氏の発言を並べてみたい。

まずは、こちらの言葉。朝日新聞(6月11日)

「最高裁の判決の法理に従って、何が国の存立をまっとうするために必要な措置かどうか、ということについては、たいていの憲法学者より私の方が考えてきたという自信はある」

そして次。東京新聞夕刊(6月5日)

「憲法学者はどうしても憲法九条二項の字面に拘泥する」

こちらも同じく。テレビ朝日(6月9日)

「60年前に自衛隊ができた時に、ほとんどの憲法学者が『自衛隊は憲法違反だ』と言っていた。憲法学者の言う通りにしていたら、自衛隊は今もない、日米安全保障条約もない。日本の平和と安全が保たれたか極めて疑わしい」

今回の安保法制をめぐる「合憲か、違憲か」の議論では、高村氏のよる学者を軽視・侮蔑する発言が特に目立つ。

大阪市長の橋下徹氏が展開した「学者批判」を連想する。(2014年9月5日のブログ

こうした政治家が学者を軽視する風潮も、「反知性主義」のひとつなのだろう。

また高村氏は、最高裁による砂川判決で「集団的自衛権は認められている」としてうえで、次のようにも述べる。TBS(6月11日) 

「憲法の番人は最高裁判所であって、憲法学者ではありません」

この言葉から、すぐに連想したものもある。

一昨年(2013年9月3日)に、最高裁は、婚外子を差別する民法に対して違憲判決を出した。この判決に対して、自民党副幹事長の西田昌司氏は、次のように指摘している。(共同通信2013年11月5日

「最高裁の暴走だ」

「最高裁の判決は、国民の一般感情とずれている。最高裁はわれわれの世間の常識と離れた所にある」

自分に都合のいい時は、最高裁判決を持ち上げ、都合の悪いときは、けなす。

まさに朝三暮四。こうした風潮は、安倍政権ではとくにかく目立つ。例えば、安倍総理自身に対する小田嶋隆さんの指摘。ラジオデイズ『ふたりでお茶を』(5月号)より。

「昨日、こう言っていたのに、今日、こう言っている。というのがあの人、すごく多い。そこ繋がらないじゃないと指摘しても、平気。“最後の一人まで”“アンダーコントロール”“指一本触らせない”と言ってしまう」

「言説の内容じゃなくて、言説行った後の(キリ)という顔。断言した方が政治家というのはいいんだということを、彼はたぶん橋下徹から学んだ。内容はどうであれ、はっきりきっぱり断言して宣言して、ぐちゃぐちゃ言わない。明確な態度をして私についてきてください。敵に対しては二者択一を迫る。その方が、決然としたいい政治家に見えるよという」 (パート①24分ごろ)

やれやれ。というか、頭がクラクラしてくる。本当に大丈夫なのだろうか。

次の内田樹さんの言葉も印象的。ラジオデイズ『ほぼ月刊 はなし半分』(6月号)より。

「言っていることが首尾一貫しないとか、憲法と法律の閣議決定とガイドラインが齟齬していることをいくら指摘しても意味がない。日本は『理』が通るところではない。『理』が通らない社会を、どう生きるか」 (24分ごろ)

理が通らない社会で、どう理を通していくか。

まさに今、このことが問われている。そう思う。


2015年1月14日 (水)

「自分の頭で考え、自分の言葉で語ろうとするほど疎外されるこの社会っていったい何なんですか?」

ちょっと個人的に興味を持った話題を取り上げてみたい。

成人の日の朝日新聞(1月12日)の社説は、「成人の日に考える」と題したものだった。こんな指摘をしている。

「就職活動シーズンに街にあふれる黒のリクルートスーツ」

「『個性を大切に』と言ってきたはずの学校や企業、社会はなぜ、この真っ黒な世界をよしとしているのだろうか」

「黒のリクルートスーツを着ずに就活にのぞむ学生は、『異物』扱いされるかもしれない」


就職活動のリクルートスーツは、とにかく黒一色とのこと。

話は少し飛ぶが、その前日の日曜日。子供が所属している少年野球の練習に顔を出した。

その日、野球の練習に参加していた小学生は13人。何気なく、子供たちのグローブの色をチェックしてみると、そのうち10人が黒色のグローブをしていたのである。あとの3人は、茶色、黄色、青色。

たまたまうちのチームだけなのかもしれないが、理由を聞いてもはっきりしない。とにかく野球少年たちは何故か黒いグローブを選んでいる。

そういえば、今やプロ野球のユニフォームも、黒色ベースのチームが多くなっている。

ジャイアンツ、タイガース、ホークス、マリーンズ、ファイターズの5チームが完全に黒色ベースのチームカラー。

青色がチームカラーのドラゴンズ、スワローズ、バッファローズ、ライオンズの4チームも、以前に比べて色は紺色というか、かなり黒色に近い青になっている。

ベイスターズは、一時期は濃い紺色だったが、親会社が変わったためか、青みが増した。あとは、カープの赤色とイーグルスのエンジ色。実に、12チーム中、9チームが黒系のチームカラーである。

なぜ黒系が増えているかは、分からないけど…。

話を就職活動に戻すと、就職四季報プラスワン編集長の田宮寛之さんは、今、就職活動の学生の9割以上が黒系のスーツを着ていると指摘。サイト『東洋経済オンライン』(2014年10月28日)より。そして「リクルートスーツは黒系を選べ!」としたうえで、その理由について次のように語っている。

「黒の無地のスーツで行けば、服装に関してリスクはありません」

「服装などの外見で目立つのではなくて、中身で目立つべきです」


確かに無難なアドバイスなのだろう。でも、である。服装で「リスク」を避ける人間が、どこまで中身で勝負できるのか。そして採用する側も中身をちゃんと判断しているのだろうか。

上記の朝日新聞(1月12日)の社説には、政治的な話題に触れて内定を取り消された21歳の専門学生の「菜々子さん」の思いが書かれている。

「おかしいと思っても、気づかないふりをしないと生かしてくれない社会って何だ。自分の頭で考え、自分の言葉で語ろうとするほど疎外されるこの社会っていったい何なんですか?」

ズシリと響く言葉である。

今年の成人たちが生まれたのは、20年前。地下鉄サリン事件が起きた年である。朝日新聞(1月11日)には、元編集委員の降幡賢一さんがオウム真理教についての次のように書いている。

「自立を放棄し、疑問を持つことは自らの汚れだと思考を停止する。その支配と被支配の構造の中で、信者たちは『上官の命令は天皇の命令』と絶対服従を強いられた旧軍隊の兵士たちと同じようにして、暴走を続けたのだった」

先の菜々子さんの思いと、どこか重なっているような気がする。

黒一色のリクルートスーツからは、
フランスの寓話『茶色の朝』(著・フランク・バヴロフ)を思い出す。ある朝、みんな茶色の服を着ていた。突然、茶色(ファシズム)の時代がやってきたという話だった。

そんな茶色の時代は、日本にもあった。

東京新聞(1月4日)には、『覆う空気』という連載特集が載っていて、その日のタイトルは『カーキ色の街』というもの。

「陸軍が国防色としたカーキ色の国民服が法令で定められたのは40年。街は次第に一色に染まった」

「『おしゃれ』は異を唱えるものとして、目の敵にされた」


翌日(1月5日)の東京新聞のスポーツ面には、『希望のプレーボール』という特集が載っている。1943年のことが書かれている。

「泥沼化する戦争の余波は容赦なく球界に及んだ」

「娯楽を許さない風潮が強まる中、職業野球は必死に存続を図った。戦闘帽と軍服のような国防色(カーキ色)を用いたユニホームを着用」


まさに街も野球の世界も、カーキ色で染められていた時代があったのである。

それから70年余りが過ぎ、今度は街や野球の世界は黒色で染められかけている。おそらく無自覚に、無意識に。カーキ色や茶色ではないのがせめてもの救いなのだろうか。

どんな事情にせよ黒色しか選べない風潮には「違和感」を抱いてしまう。いつか振り返った時、「黒色の時代」と呼ばれないよう、せめて着る服やグローブの色くらいは自分のコダワリで選んでおきたい。そう思う。

2014年12月10日 (水)

「冬山に一緒に登ってもいいと思える政治家に投票したい」

今週末が選挙。それなりに選挙にまつわる文献や資料を読んでいるが、どんどん力が抜けていく。

一体全体、この社会はどこに行こうとしているのだろうか。まじでそう思う。


今日、秘密特定保護法が施行された。

経済学者の金子勝さんの言葉文化放送『ゴールデンラジオ』(12月5日放送)より。

特定秘密保護法は実行されたときは、もうファッショだよ。この秘密特定保護法で逮捕されるぞ、という圧力の下でみんなが自主規制していくことが本当に狙っている効果。選挙がこのままいっちゃったときには、もう秘密特定保護法が大手を振る状況になってしまう」

やれやれ。
確かに選挙報道に関しても、テレビや新聞は自主規制の嵐である。もう既にファッショ、ファシズムの時代に入っているのかもしれない。


他にも最近、気になった言葉をランダムに並べてみたい。

まず、前々回のブログ(11月27日)で、ジャズミュージシャンの菊地成孔さんの次の言葉を紹介した。TBSラジオ『粋な夜電波』(11月22日放送)より。

「繰り返し申し上げますが、古典に当たるべきです。現代人は。じゃないとうつ病になるので。古典に当たりましょう」

今日(12月10日)の朝日新聞に、作家の池澤夏樹さんの同じ指摘が載っていた。

「反知性主義の時代だが、日本とは何か、若い人に文学から知識や教養を得てほしい。それを、知的な方法で世界を構築する手段にしてほしい」

古典から学ぶ。そして知的な方法で世界を構築する。今、必要なこと。

でも安倍総理の振る舞いを見ていると、全くこの逆の方法で世界を作ろうとしている。

コラムニストの小田嶋隆さんの言葉。ラジオデイズ『ふたりでお茶を』(11月号)より。

「安倍さんという人は、リテラルな教養とか、自分は戦争を知らないけど戦争文学は読んでいるとか、両親や叔父や色んな人から戦争の話を聴いているとか、戦争は実際には知らないけれどこんなもんじゃなかったのかという実感とか、あるいは本当のところはわからないことを自分で分かっているとか、 そうところが本当にない人ですよね」 (19分ごろ)

こういうリーダーが権力を握る。すると社会は…。歴史は繰り返されてしまうのか。

社会学者の宮台真司さんTBSラジオ『デイキャッチ』(10月24日放送)より。

「社会がやせ細るとどうなるか。これはナチズムがそうだった。社会がやせ細るとそれを埋め合わせるように、見ず知らずの人間たちが、『ゲルマンのアーリア第三帝国だ』などと言って、見ず知らずの人間たちであるユダヤ人たちを『こいつが敵だ』とわめき始める。日本でもそういうやつらがいっぱい出てきている。これは社会がやせ細ると必ず出てくる現象」

「そういう人たちが増えると全体主義化が起きる。すると戦争が起こる。戦争が起こったら経済活動どころではない」

もし全体主義化が進めば、アベノミクスどころではないのだ。

さらに宮台真司さんの言葉。ビデオニュース・ドットコム「マル激トーク・オン・デマンド」(11月29日配信)より。


「グローバリゼーションの結果としての貧困化や格差化が広がると、社会の劣化ということが前面に出てくる。そうすると社会の劣化を放置してまでも、経済側に軸足を置こうという人たちが出てくる。それは利得とか権益とかが背後にある」

「安倍さんの場合には、政治保守と経済保守の連合体です。それが一番よくない。経済保守がもたらす社会の劣化を、政治保守による吹き上がりによって埋め合わせる。典型的には排外主義とか、テロの脅威とかいった喧伝。それによって社会がボロボロになっていることにみんな目を背けてしまう」
 (パート②14分ごろ)


閉塞感の広まり。経済重視。社会の劣化。排外主義による埋め合わせ。ファシズム(独裁体制)の確立。こういう流れ。(12月2日のブログ

今回の選挙でも、私利私欲のための解散総選挙。自民党によるメディア規制。街頭活動の規制(毎日新聞12月9日)。などなど実際に、イヤな動きはどんどん広がっている。

政治学者の國分功一郎さんサイト『ポリタス』(12月8日)より。

「日常がおかしくなっていくのは次第次第にであるし、それに、もし自分のこの実感を認めてしまったならば、何かそれまでの日常を改めなければならなくなるからだ」

「人は何となく社会がおかしいと感じても、それをなかなか認めようとはしない。そうして自分に噓をつく。それは別に非難されるべきことではない。少しずつしかおかしくならない社会の中で、最終的な破局が起きていないにも関わらず破局を想像することなど困難に決まっている。日常生活の中でそれを想像するためには、かなりの知力と知識がいる」

選挙まで、もう4日しかない。

選挙区によっては、実質的に「自民vs維新」という選択肢しかないところも。安倍か、橋下かを選べと言われても正直困る。ただ「自民vs民主」だったとしても、その中身は、憲法改正、集団的自衛権など両方とも賛成というパターンも多い。 困ったもんだ。

選べと言われても…、である。小選挙区って本当に問題が多いと思う。だけど、我々はそれでも選ばなければいけない。

社会学者の北田暁大さんサイト「ポリタス」(12月9日)より。

「選択肢がないと嘆くのではなく、粘り強く選択し続けることによって、選択肢そのものを変えていくことができるかもしれない」

作家の平川克美さんの言葉も。サイト「夜間飛行」(8月31日配信)より。

「冬山に一緒に登ってもいいと思える政治家に投票したい」

どちら(どの)候補なら、厳しい冬山の山行でバディを組んでもいいか。それで選ぶ。確かに、これが一番わかりやすい候補者の選び方なのかもしれない。

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