★政治家の言葉

2015年3月20日 (金)

「歴史のお勉強をサボると、こういう惨事を招くんですね」

「八紘一宇」という言葉について。国会で、三原じゅん子議員が突如口にした。

森本毅郎さんは、今朝のTBSラジオ『スタンバイ』(3月20日放送)で次のように語っていた。

 「これは苦い言葉なんですよ。どうしてもアジア侵略の正当化ということが頭を離れない」

「今、国会でこの言葉をなんの抵抗もなく使えたということにびっくりした」


そして、三原議員を含めた今の国会議員の「歴史認識」の問題だと指摘した。

静岡県立大名誉教授の前坂俊之さんは、次のように指摘する。朝日新聞(3月19日)より。

「八紘一宇は侵略のキーワードで、三原氏の質問は全く関係ない問題に『八紘一宇』を誤用した歴史無知の発言だ」

文芸評論家の斎藤美奈子さんの指摘。東京新聞(3月19日)より。

「会心の無恥」

「歴史のお勉強をサボると、こういう惨事を招くんですね」


こういったコメントを読んでいて、とある対談を思い出した。

楽天の三木谷浩史さんと、ドワンゴの夏野剛さんの対談。サイト『LOGMI』(3月2日) より。

三木谷 「次はちょっとプログラミング、日本国民のプログラミング力を上げるというプロジェクトを」

夏野 「賛成だな。僕はやっぱり中学くらいからやらせるべきだと思う。別に日本史なんか教えなくていいから」

日本史の授業について。

夏野 「意味ないよ」

三木谷 「僕、憶えなかったですよ」「歴史は苦手ですね」

夏野 「大河ドラマ見てればいいんですよ」


読んでいて、もう苦笑いしか出ない。まさに、こういう考え方をする人が増えた結果の、日本社会の「歴史無知」が広がったということなのだろう。これが「戦後70年」ということでもある。(2月17日のブログ

今回の「八紘一宇」発言についての他に気になった指摘も並べておきたい。


経済学者の金子勝さん自身のツイッター(3月17日)より。

「女性議員たちの極右ぶりが野放し。国民が慣れっこのなるのを待っているのか」

戦史研究家の山崎雅弘さん自身のツイッター(3月17日)より。

「三原じゅん子議員の発言と、それに対する野党と大手メディアの無反応で、『八紘一宇』という語句は『日本の国会で使っても全然問題がない言葉』に認定された」

作家の冷泉彰彦さんブログ『プリンストン発 日本/アメリカ 新時代』(3月19日)より。


「戦後70周年の『追悼の年』に、与党議員から第2次世界大戦中に『大東亜共栄圏』拡大のスローガンに使用された言葉が抵抗感なく使われる、しかもそれが直ちに厳しい批判に晒されないというのは重大なことだと思います」

天木直人さんサイト『BLOGOS』(3月19日)より。

「安倍首相がこの三原じゅん子を放置するならその歴史認識は同類だということだ。それほど深刻で言語道断な発言であるのに、誰も騒がない。この国は、政治家から国民まで、歴史に無知、無関心な、未来の見えない国だ」

今回の「八紘一宇」発言の背景には、いろいろな根の深い問題が転がっている。

 

2015年2月26日 (木)

「戦後70年を迎え、言葉の力が再び試されています」

今週、新聞を遡って読んでいたら、東京新聞(2月21日)に興味深い記事が載っていた。

「国権の最高機関で言論の府である、国会議事堂。白亜の建物が黒塗りになった時代がある。先の大戦中だ」

「戦況悪化が隠せない43年、旧内務省防空課は国会にある指導を行った。米軍機による空襲の標的にならないよう塗装をしろ、と」

「当時、上空から目立つ色の建物は同じような指導を受けた。国会もコールタールで黒く塗られた」


知らなかった…。戦時中は、あの国会議事堂までもが、黒色になっていたとは。

この記事を読んで、思い出したのが、以前、このブログ(1月14日)で書いた文章である。最近、日本のファッションやスポーツの世界で、無意識に「黒色」が選ばれているという風潮について書いた。


今の時代、その国会議事堂の外面は、もちろん黒色には塗られていない。でも、国会の内面については…。

この記事にあるように、本来、「言論の府」と呼ばれるはずの国会。そこでは、その「言論」というものをバカにしているとしか思えないヤリトリが繰り返されている。(2月24日のブログ

品位のかけらさえないヤジが繰り返される。ジャーナリストの安田浩一さんは、安倍総理のヤジについて次のように語る。毎日新聞夕刊(2月26日)より。

「今、社会では、相手を敵か味方かに分け、敵と認定すれば皆で寄ってたかってたたく風潮が広まっています。『反日』『売国奴』など、何の議論も対話も成立しないような根拠のない罵詈雑言を浴びせかける風潮もあります」

「今回はそれがとうとう、国会の議論の場にまで持ち込まれてしまった。まして一国の首相の手によって。そのことが最大の問題ではないでしょうか」


総理自らが…、である。

作家の辺見庸さんの言葉。著書『いま語りえぬことのために』より。

「声がとどかない。言葉に見放される状態という原ファシズムの特徴の一つではないかと感じます。言葉を失う過程、ひとの胸にとどける声を失うなりゆきは、とりもなおさず、人間存在つまり『個』の内奥への関心を薄めていゆく過程にちがいありません」 (P88)

本当に、そう。政治家の言葉がとどいてこない。

朝日新聞論説主幹の大野博人さんの言葉。雑誌『アエラ』(2014年10月20日号)より。

「言葉は本来、社会化されてこそ力を持ちます」

詩人の谷川俊太郎さん毎日新聞夕刊(2014年10月16日)より。

「長い時間をかけた関係性の中でこそ、ようやく本当の言葉になっていく。だから、まず身近な人との間で言葉をちゃんと使うのが大事じゃないかな」

結局、政治家だって、最初は身近な人、すなわち「目の前」の人たちとのやりとりで「言葉」を育てていくしかない。今の政治家やメディアにはそんなことが欠けているのだと思う。

最後にドナルド・キーンさんの言葉。今日の毎日新聞(2月26日)の『戦後70年』の特集記事のインタビューの最後を次の言葉で締めくくっていた。

「戦後70年を迎え、言葉の力が再び試されています」

まさにその通りなんだと思う。



2015年2月24日 (火)

「今の日本の政治過程の劣化は端的に『言葉の劣化』として現象しているように私には見える。政治を語る『言葉』に厚みがないのだ」

前回のブログ(2月20日)では、「与党議員の言動は、この二年で急速に粗暴かつ恫喝的になっている」という指摘を紹介した。

今回も政治家の言葉について。


農林水産大臣を辞めた西川公也氏の辞職後の次の言葉は、とにかくヒドイ。

「私がいくら説明しても、分からない人には分からないから、辞表を出した」

政治家が言葉で説明することを諦めている。まさに末期症状とも言えるのではないか。


安倍総理も「日教組」というヤジについての自らの説明に対して、きのう次のように訂正した。

「正確性を欠く発言があったことについて遺憾、訂正申し上げる次第であります」

もう「遺憾」という言葉の使い方が本当によく分からない。自分の発言についても使って良いフレーズなのか。

内田樹さんの指摘。著書『内田樹の大市民講座』より。

 「今の日本の政治過程の劣化は端的に『言葉の劣化』として現象しているように私には見える。政治を語る『言葉』に厚みがないのだ。『私は100%は正しく、私の反対者は100%間違っている』という恐ろしいほどにシンプルで底の浅い言明があらゆる論件について繰り返されている」 (P60)

まさに、今回の発言についてもこの指摘がそのまま当てはまる。

安倍総理の「言葉」については、森達也さんは次のように書く。著書『すべての戦争は自衛意識から始まる』より。

「彼が使う言葉の多くは、心から嫌いだ。そして彼は政治家であり、政治家にとって言葉は何ものにも代えがたいアイデンティティのはずだ。だから評価は明らかだ。少なくとも今の位置にいるべきじゃない。歴史を学んでほしい。教養を身につけてほしい。何よりも言葉に対して、もっと謙虚になってほしい」 (P200)

さらに、ジャーナリストの安田浩一さんの指摘。東京新聞(2月21日)より。

「議論の文脈を無視して『日教組』『左翼』『売国奴』などとなじって反論を封殺するのは、ネトウヨの常套手段。首相のヤジはネトウヨにこびているのではなく、本人がネトウヨな感性の持ち主であることを示している」

「ネトウヨのような罵詈雑言が、ネット上や一部の右翼の街頭行動にとどまらず、国会の議論にも浸透してきている。首相までネトウヨ化する状況は民主主義の危機だ」


そもそもの「言葉」について。作家の宮部みゆきさんは、新刊『悲嘆の門』で次のように書いている。

「願望、希望、祈念、妄想、猜疑、疑惑、恐怖。様々な心の動きが、その個人のなかでは〈言葉〉として存在し蓄えられている。考えてみれば当然のことなのだ。人は、言葉なしでは思考することさえできないのだから」

「その〈言葉〉と〈言葉の残滓〉のことをね、昔から人は、こう呼んできたじゃないかねえ。業、と。人の業だよ。生きていく上で、人がどうしようもなく積んで残していくものだ。それ自体に善悪はない。ただ、その働きが悪事を引き起こすこともある」 (下巻P385)

安倍総理は、人の「様々な心の動き」や「業」ともっとちゃんと向き合う必要があるということではないだろうか。

もうひとつ。
きのうのブログでは、「政治家の言葉の劣化は、メディアがやるべきことをやっていないからだ」という言葉を紹介した。


最後に、それと重なる指摘を載せたい。東京外国語大学の今福龍太さんの言葉。サッカーについての指摘だが、そのまま政治の世界にも置き換えることができると思う。著書『ブラジルのホモ・ルーデンス』より。

「逆にいえば、サッカーを批評として語る言語を鍛えることなしに、私たちのサッカー文化が豊かに更新される道はないと確信していたのである」 (P180)

サッカーの世界と同じように、政治の世界でも、メディアが自らの「言葉」を鍛え、「批評」という役割を果たしていけば、政治家の「言葉」の劣化を防ぐことができる。そして豊かな「政治」を取り戻すことが可能なのでは。まさに、そういうことではないだろうか。



2013年11月21日のブログ


2014年3月6日のブログ

2015年2月20日 (金)

「国会や他の場所における与党議員の言動は、この二年で急速に粗暴かつ恫喝的になっているが、大手メディアの社員はこれが『自分が本来やるべき仕事をやめた結果』であることを自覚しているだろうか」

安倍総理のヤジが問題になっている。

大島理森予算委員長も「ヤジ同士のやりとりはしないように。総理もちょっと…」「いやいや総理……ちょっと静かに」「総理総理ちょっと」と何度も注意する有様。

これに関しては、朝、森本毅郎さん「総理なんだから、もっと落ち着かなきゃ」TBSラジオ『スタンバイ』)と言っていたが、本当にその通りだと思う。

自民党の山田賢司議員が共産党の志位委員長に放った「さすがテロ政党!」というヤジといい、最近は、政治家に「言葉」を悪質なおもちゃにしているような言動ばかりが目立つ。

一方で、政権に対しての批判的な言葉を口にできない雰囲気は依然として強い。

戦史研究家の山崎雅弘さんの指摘。自身のツイッター(2月19日)より。

「政権に批判的な相手を『テロ』や『テロリストの同調者』と誹謗する風潮が、国会でも『当たり前』になりつつある。政府を批判する者を名指しして『何々を政権批判に利用している』との論点すり替えの詭弁で、批判封じの言説を展開するネット記事も増えた。国民が政府方針に疑問を呈することを抑圧する」

作家の高橋源一郎さん文化放送『ゴールデンラジオ』(2月18日放送)より。

「イスラム国の話も今は話しにくい状態。今、怖いのは、例えば政府に文句を言うと『テロリストを利する』という言葉が…。何言っても、テロリスロトを利する、みたいになってくると、それに反対する人はいない。『テロリストは悪い、絶対悪だから』ということをみんなが言わなきゃなくなっているけど、それもちょっとヘンな話」

作家の森達也さん朝日新聞(2月11日)より。

「違う視点を提示すれば、『イスラム国』を擁護するのか、などとたたかれるでしょう。誰も擁護などしていない。でもそうした圧力に屈して自粛してしまう。それはまさしく、かつての大日本帝国の姿であり、9・11後に集団化が加速した米国の論理です」

「今回の件では、政権は判断を間違えたと僕は思います。でも批判や追及が弱い。集団化が加速しているから、多数派と違う視点を出したら、社会の異物としてたたかれる」


それは「シャルリ・エブド」襲撃事件のあとのフランスも同じ。その空気を、フランスの人類学者のエマニュエル・トッド氏は、次のように語る。朝日新聞(2月19日)より。

「今日の社会で表現の自由を妨げるのは、昔ながらの検閲ではありません。今風のやり方は、山ほどの言説によって真実や反対意見、隅っこで語られていることを押しつぶし、世論の主導権を握ることです」

ヤジやネットでの中傷も当然ながら、その「山ほどの言説」に入ってくる。

だからこそ、メディアの役割が重要になってくる。本当は。

改めて森達也さんのメディアに対する言葉。朝日新聞(2月11日)より。

「多数派とは異なる視点を提示すること。それはメディアの重要な役割です」

「メディアも営利企業です。市場原理にあらがうことは難しい。でも今は、あえて火中の栗を拾ってください。たたかれてください。罵倒されながら声をあげてください。朝日だけじゃない。全メディアに言いたい。集団化と暴走を押しとどめる可能性を持つのはメディアです。それを放棄したら、かつてアジア太平洋戦争に進んだ時の状況を繰り返すことになる」


最後に。
さらに山崎雅弘さんの言葉をもうひとつ。自身のツイッタ-(2月19日)より。

「国会や他の場所における与党議員の言動は、この二年で急速に粗暴かつ恫喝的になっているが、大手メディアの社員はこれが『自分が本来やるべき仕事をやめた結果』であることを自覚しているだろうか。日本人だけでなく世界中どこの国でも、メディアが権力監視という仕事を放棄すれば、こんな状態になる」

総理と国会議員の言葉の低下。それはメディアの責任でもある。

2014年7月23日 (水)

「政治においては『言葉がすべて』なのです」

前回までのブログでは、サッカー界だけでなく、これからの社会での「多様性」の重要性。そして、多様性の豊な世界では「対話」すなわち「言葉」のすり合わせが欠かせない、という話を転がしてきた。

今回もその流れ。政治の世界でも「多様性」と「言語技術」「対話力」とは密接な関係がある、という話から。

前回のブログ(7月19日)で、元官房長官の野中広務さん「自民党の多様性が失われてしまった」(朝日新聞7月18日)という指摘を紹介した。

今の自民党には多様性が失われていることということは、その政治家から「言葉技術」や「対話力」が失われていることでもある。

きっと、それを安倍総理の言動は実証している。


例えば、秋田魁新報(7月11日)の社説では、安倍総理について次のように書いている。

「言葉のやりとりはしている。しかし、かみ合わない。それどころか安倍晋三首相は、質問にまともに答えようとしない場合も結構多いのである」

「違う話を持ち出してごまかそうとする。事実と異なる説明をしてでも言いくるめようとする。これでは国民の信頼はとても得られない」

「『言論の府』としておかしいのは明らかだ。手本となるべき政権や国会がろくに議論もできないようでは、民主主義の先行きは暗い」

毎日新聞(7月10日)
では、特集として
『質問と答えがかみ合わない「安倍語」を分析』と題した記事を載せている。その中から。

「だが、もう一つの重要な責任、国民に丁寧に説明して理解を得る義務は果たしているだろうか。国会や記者会見では、質問と首相の答えがかみ合わない場面も目立つ」

総理大臣が、対話や言葉を大事にしないで大丈夫なのだろうか…。

これまでも、このブログでは、言葉についていろいろ考えてきた。(2013年11月21日のブログ など)(「言葉・言語力」

そこで改めて、政治と言葉についての指摘を並べてみたい。

まずは、政治学者の岡田憲治さん著書『ええ、政治ですが、それが何か?』から。

「政治においては『言葉がすべて』なのです」 (P38)

「選択としての政治では必ずその判断が『言語化』されなければなりません。そうでなければ、それは政治にはなりません。いくら心の中で深く熱く詳細に考え抜いても、声帯を震わせるか言霊にのせなければ存在しないことにされますし、後に詳しく説明しますが、黙っていると「容認しているのだ」と利用されます。選挙のおける投票とは、候補者名や政党名を言語化して伝える、まさに政治的な行為です」 (P42)

例えば、カネや数の力学だけで動く政治の問題点も、政治から「言葉」がなくなっていくことにある、という指摘も説得力がある。

「「カネにものを言わせる」ことがよろしくない最大の理由は、『カネにものを言わせる』ことで、『ヒトに』ものを言わせる契機、動機、技能、期待、希望、慎重さ、勇気、責任、自由を失わせてしまうからです」 (P76)

「だから言うまでもなく、やはり金権政治はダメです。ダメに決まっています。カネでみんなが黙ってしまうからです。失われるのは『道徳』ではありません。『言葉』です。それがマズいと言っているのです」 (P80)

このブログで何度も考えてきたエモーショナルな言葉の問題点(4月21日のブログなど)については、次のように指摘する。

「感情にまかせた前のめりの言葉をバカげたものとわかっているのに、それを面倒だと炎上を恐れ、誤った忖度をして、何かに遠慮をして、のど元に放つべき言葉がつまっているような印象です」 P271)

忖度や遠慮の結果、ますます「エモーショナルな言葉」「感情にまかせた前のめりの言葉」ばかりが流通してしまう。

作家の高橋源一郎さんは、次のように語る。著書『沈む日本を愛せますか?』(文庫版)から。

「困ったもんだよね。だって、政治史を読むと、政治を動かしているのは言葉なんだから」 (P30)

「つまり、政治の言葉って公の言葉ですよね。でも、我々に使えるような「公の言葉」としての政治の言葉があるだろうかって、昔から思ってた。ただ、それは政治の側に問題があるって僕は思ってたんだけど、実は、日本語が悪いんじゃないかなっていう気がしてきて(笑)」 (P28)

そして、政治の言葉を新しく作らなくてはと考える。雑誌『SIGHT』(2014年SPRING号)より。

「今は、僕の認識でいうと、文明史的転換のときだと思っているんです。これはかつてなかったことなので、政治の言葉自体が一から更新されるべきかもしれない」 (P127)

次の政治学者の白井聡さんの指摘も同じこと。ビデオニュース・ドットコム『マル激トーク・オン・ディマンド』(7月5日放送)より。

「戦後70年近く経って、民主主義という言葉は日本国民にとって本当の言葉にならなかったし、あるいは自由という言葉だったり…。例えば権利という言葉、権利という言葉が結局わかんないんだと思う。利権は分かるんだけど、権利は分からない。それから会社は分かるんだけど、社会は分からない」 (パート2 45分ごろ)

新しい政治の言葉をつくらなければいけない…。たいへんだ。

でも、そのためにすることは、結局、政治の場所で「多くの言葉を動員」することだったりする。多くの言葉を使って、対話して、すり合わせて、新しい言葉を獲得してく。

岡田憲治さんの指摘。上記の著書『ええ、政治ですが、それが何か?』より。

「自分の欲望に根ざして世界のあり方や希望を他者に伝える際に、このように風通しが悪くなり、自由にものを言うことがはばかれるようになり、そして言葉が大雑把になっているならば、そうなっている理由を考え、多くの言葉を動員して、政治のイメージを豊かにして、その原因を明らかにしなければなりません。自由にものが言える世界がなければ、人は自分と仲間の力を引き出して楽しく生きていることができないからです」 P272)

これまで日本は、対話のための言葉があまり必要なかった。しかし日本社会も多様性からは逃れられない。だとすると我々自身で、多様な価値観を持つ人たちと対話するための、言葉を獲得していかねばならない。そういうことではないか。

2014年7月 2日 (水)

「すぐ『子供のために』と言い出す人には気をつけたほうがいい。その言葉の陰には、必ず歪んだ権力志向や支配欲のようなものが見え隠れしている。そうやって戦争は始まったのだ」

集団的自衛権の行使。きのう、安倍政権は、これを認めるため憲法解釈を変える閣議決定をした。

午後6時からの記者会見で、安倍総理は次のように語った。

「『集団的自衛権が現行憲法のもとで認められるのか』といった抽象的、観念的な議論ではない。国民の命と平和な暮らしを守るため、現行憲法のもとで何をなすべきかという議論だ」

今回も安倍総理が口にした「国民の命と平和な暮らしを守るため」という言葉。これまでも、よく使っているフレーズである。

例えば、5月15日の記者会見のときは、次のような言い方をした。

「私たちはこの船に乗っている、もしかしたら子供たちを、お母さんや多くの日本人を助けることはできないのです。守ることもできない。その能力があるのに、それで本当にいいのかということを私は問うているわけであります」

安倍総理のこれらの言葉と、ある漫画家の言葉が重なる。

それは、ちばてつやさんの言葉。最近、読んだ著書『ちばてつやが語る「ちばてつや」』で、ちばさんは、東京都が進めるポルノ規制について次のように書いている。

 
「そうした法規制を求める人間の論法が必ず『あなたの子供を守るために』というフレーズから始まることだ。すぐ『子供のために』と言い出す人には気をつけたほうがいい。その言葉の陰には、必ず歪んだ権力志向や支配欲のようなものが見え隠れしている。そうやって戦争は始まったのだ。一部の人間の過剰な権力志向に乗せられると、人間はいとも簡単に危ういほうに舵を切ってしまう」 (P232)

ちばさん自身、満州で、かの戦争を実際に体験しているだけに、この指摘は説得力を持つ。

また茂木健一郎さんは、自身のツイッター(7月2日)で次のように書いていた。

「政治家が、『平和』とか『幸福』だとか、そういうポエム的言葉を連発する時は、内容の空疎さを隠そうとしているときだと思ってきくのが、賢明です」

きのうの会見も、佐藤優さんが言うところの「ポエムの朗読会」ということか。(5月16日のブログ)(1月16日のブログ

しかし、日本は、どこへ行こうとしているのか。これから僕にできることは何か。いろいろ考えなければならいことだらけだ。

さっき読んだ今日の毎日新聞(7月2日)に載っていた印象的な言葉も。作家の半藤一利さんが第2次世界大戦当時の日独伊同盟と重ねて指摘しているもの。

「抑止力を強めれば、同時にリスクも高まる。これは本当に危険なのだ」

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