★現代の独裁とは

2014年12月 2日 (火)

「家庭内の会話、小さな集会、署名活動……。なんでもいい。国や世界にプレッシャーをかけ続けることが大切です」

今日から選挙戦が始まった。どうなることやら…。

作家の佐藤優さん朝日新聞(11月30日)の『私が問う』での指摘が興味深かった。

「菅官房長官は記者会見で『政権が争点を決める』と言いましたが、独裁の発想です。争点は国民が決めるもの」

「一番都合のいい時に選挙をする。白紙委任状をもらえるのが選挙だと考えているのではないでしょうか」

「安倍政権の特徴は『反知性主義』でしょう。客観性、実証性を重視せず、都合よく理解しようとする」


「都合の悪いことは雑談ととらえている」

「問題なのは、経済が悪化した時です。自民に代わる勢力が見えないなか、社会に無気力が広がる。『自分ではなく誰かのせいだ』となり、排外主義に結びつくことになるでしょう」


独裁体制への志向。そして反知性主義。そして、排外主義に向かう流れ。

これらについては、最近のこのブログでも触れてきた。


「独裁」11月19日のブログ


「反知性主義」9月4日のブログなど)

「排外主義」9月23日のブログなど)

今回は佐藤優さんが上記の記事でも触れている「独裁」についての言葉を改めて追加しておきたい。

独裁は、どう始まるのか。

内田樹さんは、近著『街場の戦争論』で次のように書いている。


「あらためて確認しておきますが、独裁というのは行政府への立法権の委譲のことです。別に『私は今日から独裁者になった。逆らう奴はぶち殺す』とかそういうシアリカルな宣言とともに始まるものではありません。もっと日常的で、非情緒的なものです」 (P128)

「歴史が教えるのは、ほとんどすべての独裁政治は『緊急避難的措置としての行政府への極限集中』から始まっているということです」 (P127)

また内田樹さんは、東京新聞(11月16日)でも次のように指摘している。

「自民党の改憲案では、非常時に国会での審議をへずに法律と同等の政令をつくれる。行政府にすべての権限を集中して事実上の独裁政権をつくることを意味します」

内田樹さんは、上記の著書で「ナチスの独裁」も立法権の委譲から始まったと指摘している。

少し前に、
麻生副総理は「ナチスの手口に学んだら」という言葉を口にしている

それから安倍政権がやったことはなにか…。「解釈改憲」など
国会審議を経ない閣議決定の乱用、そして自民党改憲案や議員立法の極端な減少、NHKなどのメディア、日銀人事などへの介入。などなど。まさにすべての権力を行政府のもとに集約しようとするものばかり。

本当に日本でも「誰も気づかないうち」に「独裁体制」が整いつつあるのかもしれない。


そこで、ヒトラーがゲッペルスに言ったという言葉を載せておきたい。『たったひとつの「真実」なんてない』(著・森達也)より。

「青少年に、判断力や批判力を与える必要はない。彼らには、自動車、オートバイ、美しいスター、刺激的な音楽、流行の服、そして仲間に対する競争意識だけを与えてやればよい。青少年から思考力を奪い、指導者の命令に対する服従心のみを植え付けるべきだ。国家や社会、指導者を批判するものに対して、動物的な憎悪を抱かせるようにせよ。少数派や異端者は悪だと思い込ませよ。みんな同じことを考えるようにせよ。みんなと同じように考えないものは、国家の敵だと思い込ませるのだ」 (P81)

まさに、この言葉こそ、「反知性主義」と「排外主義」を広め、「独裁」を作ろうというもの。

さてさて。今月14日が選挙の投票日。どうなることやら、である。

なんだか悲しい言葉ばかり続いてしまったので、最後にもうひとつ。

児童文学作家の那須正幹さんの言葉。「核兵器」について語ったものだけど、政治全般にも当てはまると思う。朝日新聞夕刊(11月28日)より。


「家庭内の会話、小さな集会、署名活動……。なんでもいい。国や世界にプレッシャーをかけ続けることが大切です」

2014年11月19日 (水)

「表向きは民主主義でも、これは『選挙勝利至上主義』と呼ぶべきものだ。権力者に都合が良く、より大きな自信を抱かせるための選挙に、私たちは無理やり参加させられようとしている」

なかば冗談だろうと思っていた解散総選挙。本当にやるようだ。

前々回のブログ(11月13日)
では、選挙や政治の世界まで浸蝕している「勝利至上主義」についての言葉を並べた。

その後、今の政治に対する次の指摘を見つけた
作家の諏訪哲史さん毎日新聞(11月17日)より。

表向きは民主主義でも、これは『選挙勝利至上主義』と呼ぶべきものだ。権力者に都合が良く、より大きな自信を抱かせるための選挙に、私たちは無理やり参加させられようとしている」

きのう糸井重里さん近著『ぼくの好きなコロッケ。』を読んでいて、それと重なる言葉が出てきたので紹介したい。まったく選挙とは関係ない分脈での言葉だけど、選挙の本質を表している。

「『選ばれようとして調整されたじぶん』が選ばれてしまうのは、互いにとっていいことなのか」

「『選ばれること』って、ほんとは目的じゃないではずです」 P213)

そうなのである。選挙では、選ばれることが目的ではない。選ばれて何をするかが大事なのである。

しかし今の時代、選挙で選ばれた瞬間、なんでもできるということになる。集団的自衛権の憲法解釈の変更をおこなったときの安倍総理の答弁を思い出す。

「最高の責任者は私だ。政府答弁に私が責任を持って、その上で私たちは選挙で国民の審判を受ける。審判を受けるのは内閣法制局長官ではない。私だ」

今度の選挙で「過半数」をとれば、集団的自衛権、特定秘密法、原発再稼働、消費増税など全てのことが「信任」を得たことになる。

確かに安倍倍総理や、橋下市長など「勝利至上主義」を志向する政治家は、安々と選挙を乱用していく。(3月28日のブログ


こうやって選挙による「勝利至上主義」の結果、今の政治家は「独裁」のようにしてしまう。

まさに「現代の独裁」内田樹さんは、安倍政権がやろうとしていることについて、次のように述べている。
東京新聞(11月16日)より。

「自民党の改憲案では、非常時に国会での審議を経ずに法律と同等の政令をつくれる。行政府にすべての権限を集中して事実上の独裁政権をつくることを意味します」

また田樹さんは、こんな指摘もしている。著書『憲法の「空語」を充たすために』より。


「立法府が機能不全に陥り、行政府が立法府の機能を代行する状態のことを『独裁』と言います。日本はいま民主制から独裁制に移行しつつある。有権者はそれをぼんやり見ている。ぼんやり見ているどころか、それを『好ましいことだ』と思っている人間が国民の半数近くにのぼっている」 (P4)

「どうしてこれほど危機感が希薄なのか。それは国民のほとんどが『株式会社のサラリーマン』のものの見方を深く内面化してしまったせいだと思っています。なぜサラリーマンは独裁に違和感を持たないのか。その問いの答えは、株式会社の従業員たちが日頃慣れ親しみ、ついに骨の髄までしみ込んだ『有限責任』感覚のうちに求めることができるのではないか、というのが私のここでの仮説です」 (P5)


早稲田大学教授で政治学者の豊永郁子さん朝日新聞(10月8日)より。

「安倍政権は、まるで発展途上国で見られる『開発独裁』を夢見ているかのよう。経済発展のため、という名目で行政が主導権を握り、事業者に号令をかけ国民を働き詰めに働かせる」

安倍晋三というリーダーが「取り戻したい」のは、まだ先進国ではなかった時代に日本社会に存在していた「独裁力」や「高揚感」や「一糸乱れない感覚」なのかもしれない。

きっと2020年のオリンピックも、「独裁」に利用されていく。コラムニストの小田嶋隆さん。著書『「踊り場」日本論』より。

「オリンピックって、日本は一丸になるべきだっていう話に使われちゃうでしょう。日の丸がいくつ揚がるとか、金メダルがいくかみたいなことで、そういうときに一瞬、日本って言葉がすごく連呼されて、日本人って意識がすごく高揚するじゃないですか。政治家の人たちはそれがすごく大好きなんですよ」 (P213)

「オリンピックに関わる土建屋さんたちもがんばるし。オリンピック通りってのがうちの近くにも通ってますけど、オリンピックになるとなんでもOKになっちゃうんです」 (P213)

また教育も「独裁」に利用される。山崎雅弘さんツイッター(10月22日)より。

「首相周辺や日本会議など、国家神道系の人々が『道徳教育』にこだわるのは、かつて『道徳教育』を自分たちの政治教育の道具にして、国家体制を完全に支配できたという『成功体験』が忘れられないからだろう。しかし彼らは、その『一時的成功』が最終的に『どんな結末』を迎えたかを絶対見ようとしない」

かつてのリーダーが持っていた「独裁感覚」を手にするためには、選挙だろうが、五輪だろうが、教育だろうが、経済だろうが、あらゆるものを利用していこう。もしかしたら、それが安倍政治の目指してることなのだろう。

ただ、そのかつての「独裁」が導いた悪夢のような結末については忘れているのか、見ないようにしているのか。

最後に、動物学者の山極寿一さんの指摘を。著書『「サル化」する人間社会』より。

「勝者にならなければいけないかのような意識が、世の中には蔓延しています。そのうえ、勝者は敗者を押しのけるだけではなく、支配する。これは平等意識からは程遠いものです」 (P168)

「平等よりも勝ち負けが優先するサル型の階層社会では、弱いものは身を引いて強いものを優先させるので、喧嘩が起きにくい。これは支配する者にとってみれば非常に効率が良いですし、経済的です」 P168)

サルの世界は、まさに独裁。ゴリラの世界とは違う。

そういえば、サルもそうだけど、ヤンキーの世界も「リーダー」を求める。日本政治の「独裁」とは、まさに政治の「サル化」であり、「ヤンキー化」なのであろう。今度の選挙では、そんなことも問われているのでは。

2014年6月 4日 (水)

「民主主義と法の支配を損なう行動は残念だ」

前々回のブログ(5月29日)に続いて、安倍政権による「静かなクーデター(仮)」について。

先月、タイでは陸軍が本格的なクーデターを起こした。憲法は廃止され、このあと15カ月かけて新しい憲法を作るという。そのタイのクーデターについて、日本経済新聞(5月24日)の社説では、次のような言葉が書かれていた。

 
「民主主義と法の支配を損なう行動は残念だ」

話を日本の安倍政権に移す。弁護士の羽柴修さんも、著書『戦争は秘密から始まる』の中で、秘密保護法について次のように語っている。

「憲法を変えずに憲法違反の法律をつくってしまうということですから、私たちからみたらこれは立法クーデターであって、これは断じて許すことはできない」 (P52)

そして、戦前のクーデターとの一致点を指摘する言葉も。政治学者の白井聡さんの指摘。著書『永続敗戦論』より。

 
「彼らの姿には、戦前の革新官僚や青年将校を髣髴とさせるところがある。そして、戦前の彼らが先行世代を批判しながらも、軍拡―そしてその必然的帰結としての戦争―というさして新しくもない答えしか見出せなかった点において想像力が貧困であったのと非常によく似て、現代の『安全保障サークル』の若手住人も永続敗戦の構造に目を向けようとはしない」 (P143) 

改めて考えると、もともと安倍政権のお題目は「戦後レジームの脱却」なのである。

ジャーナリストの鳥越俊太郎さんは、『戦争は秘密から始まる』で次のように語る。

「彼が言っている『美しい国・日本』とは、戦後のレジームチェンジと言っています。レジームチェンジとはどういうことか。レジームとは一つの体制のことです。国のかたち、これを変えようということです」 (P24)

「要するに国のかたちを変えようというのが安倍さんの言っていることです」 (P25)

 
「これからはもっと大事なことは国が決めて、国が決めたことをちゃんと国民も守れよと、こういう国家統制型の国をつくろうというのが『美しい国』の中身です」 (P26)

安倍政権は、当初から国の形を変えるのを目的としているのである。
 

もちろん選挙に選ばれた議員が、正しい民主的な手続き・プロセスを経て、国の形を変えていくことは何の問題もないのだろう。一方で、正しい手続きを経ることなく、暴力的にいきなり国の形を変えようとすることを「クーデター」と呼ぶのではないか。

憲法を軽視する「解釈改憲」というやり方。安倍政権によるおよそ正しいとは言えない手続きによって国の形を変えようとしていることは、どうなのか。ということでもある。

作家の保阪正康さんは、朝日新聞(5月29日)で、安倍総理のやり方について次のように述べている。 

「集団的自衛権は正義なんだ、日米同盟の軸なんだ―。安倍さんの頭の中にはそんな思考回路ができあがっていて、認めない人は『おまえが悪い』となってしまうのでしょう。自分の世界に入ってこられない人は、異質に見える。きっと物事を論理的に考えることができない、悲しいほど自己陶酔型の人物だと感じました」

異質を認めず排除するやり方…。

前回のブログ(5月30日)では、民主主義について書いた。

それと関連するが、立教大学教授の哲学者、河野哲也さんは、著書『道徳を問い直す』で民主主義について次のように書いている。

「民主主義の美点は、合意を形成することにあるのではない。そうであるのなら、公民的共和主義のように、同質性を強要する危険性が生じてしまう。むしろ、民主主義の特徴は、対立が維持されつづけることにある。そこでは、合意は特権化されずに、対立と差異が正当なものとして認められ、権威主義的な秩序を作って対立を無理に除去されたりしない。異議や対立する諸価値が併存し、それが決して終息しない多元性を維持することが民主主義の本質なのである」 (P131)

異議や対立する諸価値が併存することこそ、民主主義の本質だとすると、異質を認めない安倍総理ははたして民主的なのだろうか…。 ということである。

この冒頭にタイのクーデターに対して、日本経済新聞による「民主主義と法の支配を損なう行動は残念だ」という指摘を書いた。

民主主義と法の支配を損なう行動…。 

この指摘は、憲法の軽視と民主主義の否定という安倍政権がやっていることにも、そのまま当てはまると思う。とすると、あながち「静かなクーデター(仮)」という言い方も大げさではないと思うのだが、どうだろうか?

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