★サッカーと「永続敗戦」と、

2014年7月15日 (火)

「『永続敗戦』という概念は、第一の意味は敗戦をごまかすこと、敗戦の否認」

ここ数日は、日本サッカーの「“負けること”を正面から見つめない」という風潮について考えている。

実は、今日の話が「本題」。

3回前のブログ(7月9日)では、テレビ朝日による次のキャッチコピーを取り上げ、そこから話を転がしてみた。

「絶対に負けられない戦いが、そこにはある」

そのあと、ジャーナリストの船橋洋一さんの、こんな言葉を思い出した。著書『原発敗戦』より。

「『絶対』は魔語である。『絶対』という言葉を使った瞬間からそれこそ『負け』なのである」 (P108)

これは「原発は絶対安全だ」としてきた「安全神話」を批判した言葉。

そして「絶対」をウタった原発も、日本サッカーも、負けてしまった。ともに惨敗と言ってもいいような形で。


しかし、原発についても誰も「負け」を認めようとしない。政治学者の岡田憲治さんの言葉。著書『ええ、政治ですが、それが何か?』より。

「この事態を招いたことに関して、電力会社においても、行政においても、政治家においても、一切、全く、何の責任をとらされていません。あたかも『1000年に一度の天災』のせいだと言わんばかりの放置ぶりです」 (P252)

確かに。

船橋洋一さんは、上記の著書『原発敗戦』で、次のように書いている。

「福島原発事故は日本の『第二の敗戦』だった」 (P20)

第二の敗戦…。つまり、あの第二次世界大戦のときと、同じことが繰り返されたことを指す。

ここでもうひとつ、サッカーについての言葉。サッカー解説者のセルジオ越後さんの指摘。著書『サッカー日本代表「史上最強」のウソ』より。

「協会は日本代表が勝って勝って、勝ち続けることが何よりも重要。そうすれば、人気を維持することにつながると信じているんだから。協会にとっては『強化』よりも『勝利』」 (P11)

まさに、これと同じことをしていたのが、太平洋戦争当時の日本の政府であり、軍部だった。その結果、最後まで「負け」を認めず、敗退を「転進」と呼び、全滅を「玉砕」と呼び、国民の人気・支持をつなぎとめようとした。

こうした「敗戦」と向き合おうとしない、「敗戦」を受け入れようとしない日本の構造・体質を、政治学者の白井聡さん「永続敗戦」と呼んでいる。それは降伏したあとも永遠に続いていく。

その白井聡さんの指摘。TBSラジオ『久米宏ラジオなんですけど』(6月7日放送)より。

「玉音放送の文言を全部読んでみるとなかなか面白い。何言っているかよくわからない。漢文調で。あれは『負けました』というのを国民に伝えたわけですけど、ところが『負けた』『敗北』という言葉はない。ポツダム宣言受諾とは言っているけど、無条件降伏ということは言っていない。降伏とか敗北とか敗戦とか、負けということを表す言葉は周到に避けられている。8月15日のあの瞬間から、『敗戦』を『終戦』へと呼びかけるプロジェクトは起動していたということ」

「『永続敗戦』という概念は、第一の意味は敗戦をごまかすこと、敗戦の否認。一方で、アメリカに対しては、あの戦争に『負けたこと』を無制限に認めている。その代償行為として、国内やアジア対して、戦争の負けを誤魔化すことをずっと続ける、これが日本の戦後の国家権力の本質だと思う」


負けを認めず、負けたあともそれにちゃんと向き合わない。これこそが「永続敗戦」。

もうひとつ、白井さんの「永続敗戦」については、ジャーナリストの神保哲生さんの説明が分かりやすい。ビデオニュース・ドットコム『Nコメ』(7月5日放送)より。

「実は敗戦のレジームが続いているのだと。実際に負けたのに負けたことを直視しないようにしてくれたアメリカに、ずっと擦り寄ることによって、日本がある意味で戦前の体制をそのまま永続してきている。その末裔というか、息子とか孫とかが政官財の中にど~んと座っていて、ほとんど縁故でいろんなものが踏襲されていっているというシステムが続いている。彼らにとっては、対米隷属であり、敗戦レジームの維持こそが自分たちの権力の源泉の維持になるということ。我々が脱すべきなのは、そもそもこの敗戦レジームである。というのが白井さんの主張である」 (30分ごろ)

まったくもって、原発とも、サッカーとも同じ構造。「負け」を認めないことによって、原発ムラやサッカー協会も自分たちの体制や権益をいつまでも維持しようとする。

経済成長についてもそうだ。政府や財界は、決して、右肩下がりやマイナス成長というのを認めない。

久米宏さんの指摘。日テレBS『久米書店』(7月14日放送)より。

「ポルトガルとかスペインとかイギリスの歴史を見れば、国の力なり勢いは、それこそ上向きのときもあれば、下向きのときもあるってわかっている話。なのに、日本は成長率はいつまでもプラスではければいけないと言い続ける。政治家は特に。なんでプラスじゃなきゃいけないって私も不思議に思う。そんなこと続くはずないのだから」

きっと、政府や財界にとっては、マイナス成長は「負け」なんだろう。だから、認めない。経済が、マイナスだって、横向きだって、国民が楽しく、幸せに生きる国はあるのに。

一方、こうした「負け」を認めない体質は、市民・国民の側にもある。例えば、社会運動などでもそうだ。「負けることにタフになること」が求められる。(7月10日のブログ

社会学者の宮台真司さんと、白井聡さんの対談。ビデオニュース・ドットコム『マル激トーク・オン・ディマンド』(7月5日放送)より。

宮台 「社会運動とかやっている人に申し上げたいんだけど、目標を達成できなかったからと言って、挫折感に浸るのはやめてほしい。脱原発運動であれ、反安倍の運動であれ、目標を達成できないということは、これから通常的な事態になります」

白井 「そもそも社会運動なり、市民運動なりはそういうもの。1勝1万敗どころじゃなくて、1勝100万敗ぐらいの話。社会運動をやる人が『負けたこと』に過剰に沈み込むことはないという話でしたけど、それと同時に、他方では『どうせ成果出てないじゃん』みたいなことを横から言うやつ、自分では何もしないのに。あれも黙ってほしい」 (パート2 54分ごろ)

こうした「負けること」を認めない風潮の原因は何なんだろう。作家の村上龍さんの言葉が印象深い。著書『賢者は幸福でなく信頼を選ぶ。』より。

「多くの人が『思考停止』に陥っている。シリアスな現実から目をそらし、希望的観測をまじえて将来を予測し、考えることから逃げる。その方法、生き方は、とても楽だ」

「わたしたちは、それについて考えることが面倒で苦痛なとき、とりあえず精神が楽になる道を選ぶ傾向がある。表面的なことだけが語られ、都合の悪い事実は覆い隠され、そこから学ばなければいけない過去の出来事については、できるだけ早く忘れようとする」 P201)

結局は、「負けること」と認めないこと。向き合わないこと。逃げること。これは、思考停止なのである。思考停止のまま、忘れていき、同じことを繰り返す。全てはこのパターンなのである。

日本社会のあちこちに点在する「永続敗戦」の体質。
どこで、このループから抜け出さないと、日本社会はどんどん沈んで行ってしまうのではないか…。同じ過ちを繰り返すのではないか…。そう思えてくる。

サッカーからはじまった話が、ここまで転がってきた。



2014年7月14日 (月)

「どうも日本人は、そういうミスやリスクのある要素を排除したいと考える傾向があるようだ。サッカーに限らず、人生においても、そういう傾向があるように思える」 

前々回のブログ(7月9日)と、前回のブログ(7月10日)では、日本サッカーについて「負け」を正面からみつめ、「負けることのタフさ」を身につける必要性について書いた。

そのあと、イビチャ・オシム氏新刊『信じよ!』を読んでいたら、それに関連する指摘があった。

「しかし、彼らは、ゴールを前にすると落ち着きを失った。これまでの習慣が、そうさせたのだ。当時、日本の選手が抱えるメンタリティの問題の一つは、強豪チームとのビッグゲームを前にすると、まず『負けないためにはどうすればいいか』という思考を持つことだった。自らを過小評価して、試合に勝つことを考えず、先に負けることを恐れるのだ」 (P130)

つまり、日本サッカーチームは「負け」をあまりに嫌うがため、常に「どうすれば負けないか」を考えてしまうという。さらに、次の指摘も興味深い。

「そして、いざ試合が始まり、実は相手チームが、それほど自分たちを上回ったテクニックやスピードや組織力、個人技を持っているわけでもなく、互角の試合ができていることに気づくと、今度は、その状況に驚き、対応できず、実力を発揮できない」 (P130)

予定と違った状況、すなわち「想定外」に弱いということ。

「歯車が、わずかにかみ合わないときもある。スピーディーでダイレクトなプレーをしようとすると、必ずミスが起きる。どうも日本人は、そういうミスやリスクのある要素を排除したいと考える傾向があるようだ。サッカーに限らず、人生においても、そういう傾向があるように思える」 (P185)

結局、その国のサッカーには、ミスやリスクを極端に嫌うという国民的性格が出てしまうということなのだろう。

例えば野球も。桑田真澄さんは次のように語っている。著書『スポーツの品格』より。(2013年10月22日のブログ

「スポーツで失敗するのは当たり前です。実際のところ、失敗の連続ですよ。野球なんか特にそうです。バッターは10回のうち3回打てば3割打者で一流ですし、投手だって、すべてのボールを思ったとおりのコースに投げることなんてできません」


「僕たちも『失敗したら負けるぞ』と教わってきましたが、でも、そうではないですよね。長年やってきて思うことは、『失敗したら負ける』のではなくて、『失敗を一つでも減らしたほうが勝てる』というのが正しい言い方です。そもそも失敗は付きものなので、最初から失敗を恐れてやっていたら、いいプレイはできませんよ」 (P87)

常に「負けないこと」を第一に考え、もし負けた場合は、それから目を逸らそうとする。

どうすれば、この体質を変えることができるのか。それについて少し考えてみたい。

まず、スポーツライターの杉山茂樹さんの言葉を。著書『日本サッカー向上委員会』より。

「ぼくがこれからの日本サッカー界に訴えたいのは、『もっと勝利を』ではなく『もっと楽しく』ということ」 (P184)

野球の中日ドラゴンズのGM落合博満さんの言葉。著書『采配』より。

「大切なのは勝ち負けよりも勝利へのプロセス。そのプロセスが人生というものなのだろう」 (P95)

2人とも同じことを言っているんだと思う。
「勝つこと」「負けること」を考えて硬直するよりも、そのプロセスをいかに「楽しく」できるか。


先のほどのイビチャ・オシム氏著書『信じよ!』。こんな指摘も載っている。

「私は日本に滞在して間、日本の社会には、主役は男性で、女性が脇役として陰から支えることが素晴らしいとされる特殊な美徳があるように感じた。そして主役であるはずの男性は、仕事と金にとらわれすぎているようにも思えた。仕事をして稼ぎ、また仕事をして……という仕事を中心に生活が回り、そのサイクルに心身ともに疲弊して、人生を楽しんだり、自分を表現する余裕もチャンスもないように映った。だが、女性のほうは、家庭を守り、子どもを育て、仕事もして、実際には社会を支えながら、自己表現できる本物の人生を歩んでいるように見えた」 (P196)

日本の男性は、仕事(すなわち、勝ち負け)ばかりにとらわれるあまり、楽しむプロセスを忘れている、という指摘。一方で、女性の方は「社会を支え」ながら、「本物の人生」を歩んでいる…。

その前の杉山さんと落合さんの言葉と重ねると興味深い。


少し前のブログ(6月27日)では、次の言葉を紹介した。スウェーデン出身で日本在住の武道家、ウルリカ柚井さんの指摘。著書『武道の教えでいい子が育つ!』から。

「今の日本のように、生活実感のない男性が社会を動かしている限り、なかなか『女性にとって働きやすく、子育てをしやすい社会』を実現するのは難しいのではないでしょうか」 (P150)

ここでは、これからは、生活実感のある政治家でないと、社会をよくすることはできないという指摘である。

最後に。
かつて日本の女子リーグでも活躍したノルウェーのサッカー選手、リンダ・メダレンさんの言葉を。『蹴る群れ』(著・木村元彦 文庫版)より。


「日本協会の理事に、女性は何人いますか?ノルウェーは副会長も含む8人中3人が女性です。24時間女子のことを考えている人を、せめて一人は入れないといけない」 (P249)

これは、日本の女子サッカーについての改革の提言だが、日本のサッカー界全体の改革のためにも必要なことに思える。これからは、ピッチの選手たちの多様性とともに、組織全体の多様性を進める。生活実感のある女性の登用は、まずその第一歩となる。

W杯ブラジル大会は、ドイツが24年ぶりに優勝した。ドイツは、統一後、
サッカー界はもちろん、社会全体としても多様性を受け入れながら、問題と取り組んできた国である。

そのドイツのリーダーは、女性であるメルケル首相。試合後の彼女の喜ぶ姿も印象的だった。ちなみに準優勝したアルゼンチンも女性大統領である。



2014年7月10日 (木)

「それなのに、日本人は負けてはダメ、勝ち続けなければダメ、という考え方が根強いようです」

きのうのブログ(7月9日)では、サッカーで「絶対に負けられない」と煽りつづけるメディアの問題についての言葉を並べてみた。

「負け」を許さない、想定しないという風潮は、もちろんサッカーだけではない。日本社会の体質と言ってもいいものかもしれない。

例えば、久米宏さんは次のように指摘。TBSラジオ『久米宏 ラジオなんですけど』(6月28日放送)より。

「これは、高校受験とか大学受験とかで、入試の子供を抱える親御さんも。滑り止めを考えること自体、ダメだ。滑り止めを考えるようじゃ、本命には受からないよ。という考え方を持っていたりする」

当然、大人や親の考え方は子供にも影響する。サッカーコーチの池上正さん。今の子どもは「負けること」を極端に嫌うと指摘する。著書『少年サッカーは9割親で決まる』で次のように書く。

「例えば、かけっこはタイム別。算数の少人数クラスなども何事もレベル別になっているため『大きく負ける』体験ができません。要するに、負けることが当たり前とか、負けることだってあるさという『負けることへのタフさ』が、今の子どもには欠けているようです」 (P39)

次のような話も紹介している。

「私がジェフ時代に一緒に仕事をしたブラジル人コーチのジョゼが、ブラジルのことわざみたいなものを教えてくれました。それは『人は一生勝ち続けることはできない』というものです。それなのに、日本人は負けてはダメ、勝ち続けなければダメ、という考え方が根強いようです」 (P125)

当然のことだけど、ずっと勝ち続けることはできない。いつかは負ける。今回のW杯で、スペインがそうだったし、ブラジルもそうだった。いつかは負ける。「絶対に負けられない」と叫んでも、「負け」というものから逃げることはできない。

スポーツライターの杉山茂樹さんには、最近、タイトルもそのままの著書『「負け」に向き合う勇気』を上梓している。その中でサッカーについて、次のように書く。

「『10回戦って何回勝つか』という考え方で臨むべきスポーツなのだ、サッカーは」 (P195)

「W杯は負け方を競うコンテストだと思う」 (P234)

なのに、日本は常に「絶対に負けられない戦いがある」という煽りの中で戦いつづける。杉山さんは、こうも指摘する。

「勝てば喜び、負ければ悲しむ一喜一憂は、0か100かの極端な選択肢の中に身を委ねることを意味する。思考停止の状態にあると言っていい。日本には中間の感情がないのだ。すると、喜べば喜ぶほど、対極に位置する負けが怖くなる。世の中はいっそう、結果至上主義、勝利至上主義に傾いている。負けに対する備えができていない。僕にはそう見える」 (P5)

きのうも紹介したが、杉山さんはメディアについても、次のように書く。

「報道と応援を一緒くたにしているのが日本の報道の問題だ」 (P72)

つまり、報道、すなわちメディアがどこの誰よりも、「勝てば喜び、負ければ悲しむ」という風に「感情的」になっている。結果、どんどん「勝利至上主義」が加速する。(2013年1月28日のブログ など)

どうすれば、いいのか。上記の池上正さんの次のアドバイスにそのヒントがある気がする。

「それでは、そういった部分をどうすれば改善できるでしょうか。それには、まず親の方が負けることにタフになること。もっと言えば、わが子が負ける姿を目にしても、揺らがないこと。出来が悪かったり、ミスしたり、試合に負けても、見ている親が感情的にならないことです」 (P39) 

日本代表に当てはめると、「親」に当たる部分は…。たぶん、「メディア」。やはり、メディアが「感情的」にならないことから始めないと、「負け」と向き合わない体質は変わらないのではないか。もちろんメディアだけが悪いわけではないが…。

「負けることにタフになること」。

これは、国全体が右肩下がりの時代に突入している日本全体に必要なことなんだと思う。

2014年7月 9日 (水)

「絶対に負けられないという考え方をしてはいけない。絶対に負けられないというのは戦略の放棄だと思う」

今回もサッカーの話をしたい。今回は、メディアの話を中心に。

ずっと違和感をもっていた言葉というか、キャッチコピーがある。

「絶対に負けられない戦いが、そこにはある」

このキャッチコピーは、テレビ朝日がサッカー中継の時に使っているもの。確かに耳触りはいい。でも…、という感じがしていた。

と思っていたら、
コラムニストの小田嶋隆さんが、サッカー日本代表を取り上げるメディアについて、以下の指摘をしていた。TBSラジオ『久米宏 ラジオなんですけど』(6月28日放送)より。

「色んなメディアも、『絶対いける、絶対いける』って言って、日本代表が敗退した後のことを考えない態勢で臨んでいたと思う。『敗退するかもしれない』『自分たちの攻撃が通用しないかもしれない』というときのB案を考えておかない、というのは、帝国陸軍が自分たちの敗北を信じないどころか、可能性を口にする人間を排除していた、というのと構造的に似ている気がする」

こういうとき、いつも日本では異論をはさみにくい空気ができあがる。

「戦いの前は、ネガティブな発言はするみたいな感じになっていた。『どうですか?』って聞かれたときに、『絶対いけます』『ベスト8です』『ベスト4です』あるいは『優勝です』という声をみんな言わなければならない雰囲気になっていた。専門家でも」

「正直な感想を言えない空気ができていたことが、もしかしたら、どうかしていることなのかも」

「絶対に負けられないという考え方をしてはいけない。絶対に負けられないというのは戦略の放棄だと思う」

その通りだと思う。
「絶対負けられない」という目標を掲げて、それに対する異論を排除する空気を作り上げる。ここでも「同調圧力」が起動している。

その同調圧力の先導をしているのが、メディアなのである。

サッカージャーナリストの杉山茂樹さんは、著書『「負け」に向き合う勇気』で指摘している。

「報道と応援を一緒くたにしているのが日本の報道の問題だ」 (P72)

サッカー解説者のセルジオ越後さんも、次のように指摘している。 雑誌『週刊サッカーダイジェスト』(7月15日号)より。

「メディアの仕事は応援ではなく、批評だ。日本サッカーを強くしたいなら、本来の役割を果たすべきだよ」

こちらも、その通り。
応援、どころか、大騒ぎすることが「報道」だと日本のジャーナリズムは思っているきらいがある。特に、W杯での日本チームの試合前は、テレビを中心にその大騒ぎしているだけの「応援」を「垂れ流し状態」で伝えていた。


社会学者の中島岳志さんの指摘。著書『街場の憂国会議』より。

「全体主義は感動を伴って蔓延する。大衆文化とメディアが一体化して感動を煽り、抗いがたい空気を作り出す。ジャーナリストや言論人は、これに対して水を差さなければならない。しかし、メディアは空気に便乗する。空気の支配を先導し、助長する」 P169)

これは、社会全般についての指摘だが、まさに今のサッカーにおけるメディア&サポーターにもあてはまる。応援という、ある意味での「感情」の押しつけによって、同調圧力を強めていくやり方。過程で「異論」を聞きながら、様々な検証を行うことを放棄。そして敗戦、惨敗。

しかし、なぜか同じことを繰り返す。


久米宏さんは、次のように言っている。TBSラジオ『久米宏 ラジオなんですけど』(6月28日放送)より。

「これから4年間、日本代表をどう組織を考えてつくっていくかよりも、 また4年かけて、また『負けない神話』を作り出す。ロシア大会でも『今度こそ負けない神話』をどうやってつくるのか。また虚構の城を作っていくことになるのかもしれない」

実際、既にスポーツ新聞やテレビなどでは、「反省」「検証」「総括」よりも、次期監督人事で花盛り。

セルジオ越後さんのメディアに対する指摘。 雑誌『週刊サッカーダイジェスト』(7月22日号)より。

「このサイクルでは、この先も日本が勝てるとは思えない。もしかしたら売り上げに結びつかなくても、日本サッカーのためになる重要な事柄を世間に問うて、興味を持たせて、皆で考えていかないと、結局、最後は『ドンマイ、ドンマイ』で終わってしまう」

大会の前は「絶対に負けられない」と煽り、感情の盛り上がりによって理論的な異論を排除する。その結果の惨敗。でも敗戦から学ぼうとはせず、また同じことを繰り返す。

戦争、原発…、様々な場所で見られる日本のサイクルである。

サッカー界でも、同じことを繰り返していることが、あまりにも悲しい。商売第一で、そのサイクルを主導し、加速させているメディアの罪はあまりに大きい。



その他のカテゴリー

★「アメリカ幕府」 | ★「予測社会」 | ★「復興」を考える | ★「日本人」信仰 | ★「普通」って何!? | ★「目の前」と向き合う | ★「粉飾社会」 | ★なぜ社会風刺が許されないのか | ★サッカーと「永続敗戦」と、 | ★サッカーと多様性 | ★ノーミス・ノーリスク病 | ★メディアの自粛 | ★一億総活躍社会って!? | ★個別性と複雑性 | ★公共性って何だ? | ★前のめり社会 | ★勝利至上主義を考える | ★反知性主義について | ★否定性の否定 | ★変わるということ | ★大事なことは面倒くさい… | ★嫌な感じと違和感 | ★広場と民主主義 | ★忘れないために | ★批評&批判の大切さ | ★政治家の言葉 | ★教養とは何か | ★歴史から学ぶこと | ★民主主義って何だ? | ★消費者民主主義 | ★現代の独裁とは | ★考えることの大切さ | ★責任とは | ★雑感 | クリエイティビティ | グローバリズム | コントロール | コンプライアンス | システム・組織 | ジャーナリズム | スペースを埋める | パブリック・公共 | メディア・テレビ | ランニングコスト | リスク | リベラル・自由 | ルール | 仕事・労働 | 体罰問題 | 価値観 | 優先順位・選択 | 内向き | 効率主義 | 単純化 | 同調圧力 | 安倍政権 | 対米従属 | 市場原理 | 幸せとは | 忖度・自粛 | 感情 | 憲法 | 戦争 | 教育・子供 | 数値・数字 | 橋下現象 | 民主主義 | 水を差す | 現世利益 | 自律と他律 | 自転車 | 言葉・言語力 | 長期的視点 | 震災・原発

カテゴリー

無料ブログはココログ